木馬の騎士(3)

 

 -ああ、中在家さま、今日もなんてりりしいお顔だったのでしょう!
 今日も図書室でむすりと唇を引き結んで貸出カードを作っている長次の横顔をうっとりと眺めて時間を過ごしたカメ子だった。帰る時間となり、ぽうっと頬を上気させたまま図書室を後にしたところで、ふと大川から帰りがけに寄るよう言われたことを思い出す。
 -なんのご用なのでしょう…?
 庵に近づいたところで、カメ子は襖が閉じられて中から話し声がすることに気がついて足を止めた。
 -どなたか中にいらっしゃるみたい…。
 であれば、待つしかないと思ったカメ子は廊下にちょこんと端座した。
 -こんなことなら、もうすこし中在家さまのおそばにいればよかった…。
 会話らしい会話はなくても、長次の傍らで、その横顔を眺めながら過ごすだけでカメ子にとっては幸せな時間だった。時折気にかけるようにちらと眼を向ける長次と視線が合ったときの興奮とよろこびは、全身の血がかっと熱くなるようだった。
 -ああ、また学園にこなくては! 中在家さまに会いに…!
 前栽や鹿威しにぼんやりと視線を泳がせながら小さな決意を固めたとき、ふと中からの会話が耳に入った。
「…しかし、おシゲをベニタケ城の若君と…」
「…そう驚かれることもありますまい。先方はとても乗り気でおられるのですぞ…」
 -おシゲさまとベニタケ城の若君が…?
 学園で会った時にはなにくれとなく親切にしてくれるくノ一教室のメンバーに懐いているカメ子だったから、中から聞こえるおシゲの名前に端座したまま聞き耳をたてる。
「…それにしても、結婚というのはいかにも唐突…」
「…お気持ちは分かりますが、このまま忍術学園が独立路線を維持しうるかということにも…」
 -おシゲさまとベニタケ城の若君が、ご結婚?
 身じろぎもせず座ったまま衝撃を受けるカメ子だった。
 -でも、お兄さまはおシゲさまと結婚したいと…それでお父さまとお母さまのケンカのタネになっているというのに…?
 これはすぐに両親に伝えなければならない話だと思った。大川の依頼などとうに頭から吹っ飛んだカメ子はそっと立ち上がるとそろそろとその場を後にする。

 

 

「う~ん、どうしようかなぁ…」
 数日後、長屋に届いた手紙を前に考え込むしんべヱがいた。
「どうかしたの?」
 家族にあてた手紙を書いていた乱太郎が顔を上げる。
「うん。ママがね…」
「しんべヱの母ちゃんから? めずらしいな」
 造花づくりのアルバイトをしていたきり丸も顔を上げた。
「そうだね。しんべヱにお手紙やお菓子をおくるの、いつもパパさんだもんね」
 乱太郎が頷く。
「だから、どうしようかなって」
 これ以上もないほど困った表情のしんべヱが腕を組んで考え込む。
「で、ママさんがなんて書いてきたの?」
「…つぎのお休みにかえってこいって」
「かえればいーじゃねーか」
 ふたたび造花づくりの手を動かし始めながらきり丸が関心なさげに言う。
「でも…ママがかえってこいってことは、テストのことでおこられるのかなって…」
 両手の人差し指をつつき合わせながらしんべヱがもじもじする。
「ああ…」
「なるほどね…」
 同時に頷く乱太郎ときり丸だった。
「どうしよう…ママ、おこるととってもコワいし…」
「でも、そーゆー点数とっちまったんだからしょーがねーだろ」
 眼の前に怒り狂った母親がいるかのようにおどおどするしんべヱに、きり丸が投げやりに突っ込む。
「そんなこと言ってていいの? きりちゃん」
 再び筆を動かしながら乱太郎が口を開く。
「なんだよ」
「こんどのお休み、私たちもきり丸のバイトてつだうことになってなかったっけ? 子守と犬の散歩と…」
「うわっ! そうだった!」
 飛び上がったきり丸がばたばたとしんべヱに駆け寄るとその肩をつかむ。
「しんべヱ、こんどの休み、どーしてもかえれないってママさんにへんじしてくれ! な! たのむ!」
「ホントにいいの? そんなことで」
 冷静に突っ込む乱太郎だったが、「うん、わかった!」と満面の笑みで応じるしんべヱに、それ以上なにも言う気になれなかった。 

 

 

「お兄さまっ! どういうことですかっ!」
 数日後、学園に現れたカメ子は光背に燃え盛る火焔を負うがごとく怒り狂っていた。
「え…いや、あのその…」
 長屋の部屋の上がり框に立ちはだかったカメ子に、部屋の隅でひとかたまりになる乱太郎きり丸しんべヱである。
「あのさ、カメ子ちゃん、ちょっとおちついて…」
 ひきつった笑顔の乱太郎がなだめる傍らで、「しんべヱ、自分ちのことだろ、まえに出ろよ」ときり丸に押し出されそうになるしんべヱが「だって…」と涙目になって乱太郎にしがみつく。
「う、うわ、ちょっと…私をおし出さないでよ…」
 しんべヱごと前に押し出された乱太郎がぎょっとした声を上げる。
「お母さまがつぎのお休みにかならずかえってくるようにっていったのに、かえらないとはどういうことですか」
 不意にカメ子の口調が変わった。押し殺した声はドスが効いて、5歳とは思えない迫力である。
「いや、だから、それは、きり丸が…」
「お、おれかよっ!」
 怒りに燃えた視線を向けられたきり丸があわあわと口を開け閉めする。「わ、わかった! こんどの休みのバイト、おれと乱太郎だけでなんとかするから、しんべヱ、おまえはかえれ! それでいいだろ?」
「いいの? それで…」
「そんなあ…」
 乱太郎としんべヱが同時に声を上げた瞬間、ずん、と一歩足を踏み出したカメ子がまくしたてる。
「そういう問題じゃありません! お兄さまはなんにもわかっていません! お兄さまはおシゲさまと結婚したいっておっしゃってお父さまとお母さまをこまらせているくせに、おシゲさまがベニタケ城の若様と結婚することについてはなにもお話してないではありませんか! お母さまはそのことを説明するようにとおっしゃっているのですっ!」
「「「…」」」
 奇妙な間があった。
「カメ子ちゃん、それどういう…?」
 すっかり固まってしまったしんべヱに代わって乱太郎がためらいがちに声をかける。
「いまもうしあげたとおりです」
 カメ子の返事はにべもない。「おシゲさまはベニタケ城の若様と…」
「…そんな…」
 ぽそりと声を漏らしたしんべヱが力が抜けたようにへなへなと座り込む。
「ちょ、ちょっとしんべヱ、だいじょうぶ?」
「しんべヱ、しっかりしろよ」
 両脇から乱太郎ときり丸が身体を起こそうとするが、全身の力が抜けたように床に伸びるしんべヱだった。

 

 

「…で、しんべヱどうしたの?」
 慌ただしく新野と伊作が診察と薬の調合に動く。衝立を隔てて座りこむ乱太郎ときり丸に、好奇心を隠し切れずに寄ってくるのは伏木蔵である。
「どーにもこーにも…」
 げっそりした乱太郎が口を開く。「カメ子ちゃんがいかりくるって…」
 全身の力が抜けて動けなくなってしまったしんべヱを前に、乱太郎ときり丸は怒り狂ったカメ子をなだめすかして帰らせ、そしてしんべヱを医務室に担ぎ込んできたのだ。
「カメ子ちゃんが!?」
 伏木蔵が眼を輝かせる。「エキサイティングぅ~」
「おまえ、ぜったいおもしろがってるだけだろ」
 きり丸が恨みがましい眼を向ける。「こっちはたいへんだったんだぜ?」
「それでそれで?」
 聞き流した伏木蔵が身を乗り出す。「カメ子ちゃん、どうしてそんなにおこってたの?」
「それがさ…」
 疲れ切ったように衝立に寄り掛かった乱太郎が顔を上げる。「しんべヱはおシゲちゃんと結婚したがっているのに、いつのまにかおシゲちゃんはベニタケ城の若様と結婚することになっちゃってたみたいで…」
「すごぉい! スリルとサスペンスぅ~!」
 思わず腰を振り振り言った伏木蔵が続ける。「それでしんべヱがショックをうけちゃったってわけ?」
「ま、そういうこと」
 やつれた表情で言い捨てたきり丸がよろよろと立ち上がる。「じゃ、あとはたのんだぜ」
「わかった…」
 乱太郎も衝立に手をかけながら立ち上がる。その傍らで「これは事件だよぉ!」と伏木蔵が呟く。

 

 

「おい、しんべヱ、大丈夫なのか?」
 数日後、委員会活動に姿を現したしんべヱに心配げに作兵衛が声をかける。
「はい、まあまあ…」
 曖昧に応えるしんべヱだったが、まだ衝撃は残っていた。
「そうか。ムリするなよ」
 口調はべらんめえだが至って生真面目な作兵衛だから、後輩への目配りは自分の役割だという気負いが強い。それでも、今のしんべヱにはその生真面目さのおかげで声をかけやすかった。
「ところでせんぱい」
「なんだ?」
 不意に事情ありげに身体を寄せて声をかけてきたしんべヱに、軽く眉を上げた作兵衛は作業の手を止めずに訊く。
「ベニタケ城って、どんなお城なんですか?」
「ベニタケ城?」
 予想外の問いに思わず声を上げる作兵衛だった。
「ベニタケ城がどうかしたか?」
 少し離れたところで鋸の目立てをしていた留三郎が振り返る。
「いえ、ベニタケ城がどんな城かっていきなり訊いてきたもんですから…しんべヱが」
「ベニタケ城?」
 留三郎が首をかしげる。
「はい…じつは、うちのパパがしりたがっていたので」
「しんべヱのパパさんて…福富屋さんですよね」
 守一郎が留三郎としんべヱを交互に見やる。
「そうだ…だが、福富屋さんがどうしてベニタケ城のことを知りたがるんだ?」
 留三郎が肩をすくめる。
「さあ…」
 しんべヱが首をかしげる。「あんまりお仕事したことがない城だからじゃないかとおもうんですけど」
「そっか」
 納得したように留三郎が頷く。「といっても、ぱっとしない城だからな…」
「ベニタケ城でしたら」
 守一郎が声を上げる。「タソガレドキの影響が強い城だったと聞いてますが」
「そうなのか?」
 留三郎が訊く。その傍らでしんべヱが身を乗り出す。
「はい…俺のひいひいじいちゃんが言ってましたが」
 守一郎が続ける。「もともとタソガレドキ城から何度も攻め落とすぞって脅されて、そのたびにいろいろ譲歩して持ちこたえてきたんですが、最近はほとんど属国になってるみたいだって」
「へ~」
「そうなんですかぁ」
 いつの間にか平太と喜三太も身を乗り出していた。
「ま、そういうことらしいな」
 再び目立ての手を動かしながら留三郎が言う。「俺たちが言えるのはそのくらいだ…それよりお前たち、手を休めるなよ」 
「は~い」
「ふぇ~い」
 やれやれと作業に戻る喜三太たちだった。そして、一緒に手を動かしながらふと考えるしんべヱだった。
 -もしかして…タソガレドキにたのめば、なんとかなるのかな…?

 


「ほう? 伏木蔵君が門前に?」
 横座りになって竹筒に差したストローで茶をすすっていた昆奈門が軽く眉を上げる。
「は」
 控えた尊奈門が応える。
「なら、分かってるよね」
 まさか門前に待たせたままではないだろうな、と言わんばかりに隻眼を細める。
「はい…もうすぐお通しできると思いますが…」
 眼をそらしながら尊奈門が言いよどむ。
「なに?」
「その…横座りはやめていただけないでしょうか…」
 いよいよ苦し気に尊奈門は声を絞る。
「なんで?」
「ですからいつも申し上げているように…士気が下が…」
 言いかけたところにがらり、と襖が押し開かれる。
「こなもんさん!」
 部屋に飛び込んできた伏木蔵が駆け寄るや横座りになった昆奈門の膝の上にすっぽり納まる。
「よく来たねぇ」
 伏木蔵の頭をなでながら目尻を下げる昆奈門である。
「はい! こなもんさんにおねがいがあるんです」
 言いながら伏木蔵は首をひねって昆奈門を見上げる。
「なんのお願いかな? おじさんなんでも聞いちゃうよ」
「ホントですかぁ?」 
 デレデレの昆奈門に伏木蔵が声を弾ませる。「エキサイティングぅ!」
「で、なんのお願いごとなのかな?」
 ぐっと顔を近づけた昆奈門が訊く。
「あのですね」
 昆奈門のアップにはいまさら驚かない伏木蔵の口調は変わらない。「じつは、しんべヱがおシゲちゃんと結婚したがってるんですが、いつのまにかおシゲちゃんがベニタケ城の若様と結婚することになっちゃってて、しんべヱがとってもおちこんでるんですぅ」
 伏木蔵の口から語られた意外な城の名にふたたび軽く眉を上げる昆奈門だった。
「ベニタケ城、ね…」
 -というか、忍たま一年生のくせに結婚がどうのとか、忍術学園はどんな教育をしているのだ?
 という疑問は措きつつ、半ば属国としているベニタケ城とあらばどうにでも料理しうるとも考える昆奈門だった。
「ダメですか?」
 首をひねって見上げたまま伏木蔵がおどおどと訊く。
「私にできないことなどないんだよ」
 不安そうな表情すらかわいくてしかたない。ふたたび伏木蔵の頭をなでながら昆奈門は言い切る。果たして伏木蔵の表情がぱっと明るくなる。
「ホントですかぁ?」
「私が伏木蔵君にウソをついたことがあったかい?」
「ないですぅ!」
 声を弾ませた伏木蔵がくるりと身体を返すと昆奈門に抱きつく。「よかったぁ、こなもんさんに相談して、ホントによかったぁ」
「お安い御用だよ」
 小さい身体をそっと抱きながら昆奈門は言う。さて、ベニタケ城をどうしてくれようかと考えながら。

 


 -これでしんべヱ、きっとよろこんでくれる!
 軽い足取りで忍術学園に向かいながら伏木蔵は考える。
 もとは、しんべヱから直接頼まれたことだった。タソガレドキ忍軍の組頭に特にかわいがられている伏木蔵なら、ベニタケ城の横車をなんとか押し返せるのではないかということだった。
 -だいたい、しんべヱは前からずっとおシゲちゃんのことがだいすきだったのに、いきなりわりこんでくるなんて、ベニタケ城てばずるすぎる!
 だから頼まれるままに昆奈門を訪れて直訴したのだ。しんべヱの想いを遂げてやりたいと。そして昆奈門は何とかすると約束してくれた。昆奈門ならやるだろう。タソガレドキ忍軍の組頭として、どのような手段を取ってでも。
 -よかった。これでしんべヱ、きっとげんきになる!
 伏木蔵は知らない。これ幸いとばかりにタソガレドキがどのような動きを示すかなど。

 


「なん…だと!」
 タソガレドキ城からの文に眼を通した城主が脇息に肘をついたまま頭を抱える。
「どうなされましたか」
 前に控えた家老が慌てて訊く。
「タソガレドキが…人質を出せと言ってきおった…」
 頭を抱えた城主がうめき声を漏らす。
「人質ですと?」
 家老が思わず声を上げる。「して、誰を?」
「わしの…嫡流以外のすべての男子を…」
「なんと…!」
 あまりの内容に家老も絶句する。
 -われらにタソガレドキに抵抗する力などないことは先方がいちばん分かっているはず…それなのに、なぜ今更人質を要求するというのだ?
 そして素早くその意味を考える。
 -あるいは、忍術学園との縁談を嗅ぎ付けられたか?

 


「尊奈門」
「は」
 タソガレドキ城の忍軍の部屋で文机に向かっていた昆奈門が尊奈門を呼び止めた。
「この手紙を、忍術学園の新野先生に届けて来い」
「かしこまりました」
 手渡された手紙を懐にしまった尊奈門が、ふと気がついたように訊く。「そういえば、このあいだ伏木蔵君が来ていましたが、なんの用だったのでしょうか」
 タソガレドキ忍軍になついている伏木蔵といえど、なんの用もなくただ遊びに来るということはなかった。誰かからの手紙を届けに来たのだろうかと考える。
「ああ、ベニタケ城が、庶子の一人を忍術学園の学園長の孫娘と結婚させようとしてるらしくてね。その話を壊してほしいと言ってきた」
「ベニタケが…なんのために忍術学園と? それに…」
 仔細らしく尊奈門が考え込む。「嫌なら直接断ればいいものを、なぜ我々に?」
 タソガレドキに借りを作ることになるではないか、と考える。ぐふ、と可笑しそうに昆奈門が覆面の下で笑いを漏らす。
「この話の依頼人はしんべヱだそうだ」
「はあ?」
 尊奈門が眼を丸くする。「しんべヱって、一年は組の生徒の?」
「しんべヱは大川殿の孫娘と恋仲らしいな。どうしても結婚したいから、ベニタケ城との話をつぶしてほしいとのことだ」
「なんという…?」
 年端もいかない子どもが結婚だの、ライバルをつぶすためによりによってタソガレドキに依頼をかけるだの、理解できないことだらけで頭がくらくらする尊奈門だった。
「で、もちろん断られましたよね、そんな話」
「いや?」
「断られなかったのですか?」
「なんで?」
「なんでって…」
 子どもの分際でそんな大それた政治の話を持ち出してくること自体が信じられないが、それに応じたという上司にますます頭が混乱する。
「評定のときに報告してやったよ。『ベニタケ城が庶子を忍術学園の学園長の孫娘と結婚させたがっているという情報が入った』とね」
 眼を回しそうな尊奈門に可笑しそうに眼をやりながら昆奈門が説明する。「みごとに思った通りの展開だったね。単細胞の侍大将が『ベニタケを攻め落とせ』と喚いて、狐の勘定奉行が『ベニタケ領など年貢が上がらない割に国境警備や民生費でカネばかりかかるから現状維持しろ』と言って、最後にはお仕置きにベニタケから庶子を人質に差し出させることで決まったよ。今頃、政所が文書を出してベニタケがパニックになっているところだろうな」
「なるほど、そういうことでしたか…」
 ようやく納得したように頷く尊奈門だった。
「そういうことになったから、安心するようついでに伏木蔵君にも伝えといてくれ」
「かしこまりました」

 

 

「あ、山本シナ先生だ」
「ホント…いつもステキでしゅわ」
 数日後、学園の馬場を見下ろす丘の上に並んで座るしんべヱとおシゲだった。いま、馬場には白馬にまたがった山本シナが速駆けの訓練をしているところだった。リズミカルな足音とともに土埃が舞い上がる。
「しんべヱさま、お身体はだいじょうぶなんですか?」
 突然倒れて医務室に担ぎ込まれたことはおシゲの耳にも届いていた。
「うん! もうだいじょうぶだよ!」
 鼻息とともにしんべヱが力強く言い切る。
「よかった…」
 安心したようにおシゲが掌を胸に当てる。「とっても心配してたんでしゅよ」
「ごめんね、心配かけて…」
 言いながらおシゲの顔を覗き込む。「でも、もうだいじょうぶだから」
「はい!」
 顔を上げたおシゲが笑いかける。
「ねえ、おシゲちゃん」
 不意にしんべヱの口調が変わる。
「なんでしゅか?」
「ぼく、おシゲちゃんがだいすきだから、パパにおシゲちゃんと結婚したいってお手紙だしたの…でも、ベニタケ城の若さまもおシゲちゃんと結婚したいっていってきたこともしってるんだ」
「しんべヱさま…」
 思いがけない台詞におシゲが言葉を失う。そのことだけは何があってもしんべヱの耳に入れてはいけないことだった。いったい誰がしんべヱに報せたというのだ?
「なぜ、しんべヱ様がそのことを?」
「学園長先生がお客さんとそんなおはなしをしてたのをカメ子がきいたんだって」
「カメ子ちゃんが…でしゅか」
 意外な名前にそれ以上続かないおシゲだった。
「だからね。ぼく伏木蔵にたのんだんだ。おシゲちゃんがおヨメに行かなくていいようにしてって。伏木蔵ならタソガレドキのこなもんさんにたのめるし、タソガレドキはベニタケにめいれいできるから」
「…そうでしゅか」
 唐突に大きくなった話についていけないおシゲだったが、効果のほどは別としてしんべヱが自分のために何かをしてくれたことだけは分かって嬉しさがこみあげてくる。
「しんべヱ様」
「なあに、おシゲちゃん」
「お鼻がたれてるでしゅ。チーンしてさしあげましゅ」
「うん! おねがい!」
「はい、チーン」
「チーン!」
「すっきりしたでしゅか?」
「うん、すっきりした!」
「よかったでしゅ」
 にっこりしたおシゲがしんべヱの肩にそっと身を寄せる。
 -しんべヱ様に守っていただいて、おシゲは幸せでしゅ…。
 それが祖父の困惑を招く結果になることは想像がついたが、いまはどうでもよかった。
 -ちょっと頼りないけど、おシゲにとってはステキな騎馬武者ですから。
 

 

 

<FIN>

 

 

 

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