さらわれた庄左ヱ門(4)

 

「やっと見つけたぞ。こんなとこにいたのかよ」
 唐突に背後から掛けられた声に、伊助と団蔵がびくっと背を震わせる。が、雷蔵はすでに気配を感じていたようだ。
「やあ、勘右衛門。君も来てくれたのかい?」
「当然だろ。俺のかわいい後輩がさらわれたんだ。三郎だけに任せておけるかってんだ」
 にやりとする勘右衛門だった。
「大坂屋を見張っているよう言っておいたではないか。なのに勝手にこっちに来るとは」
 伝蔵が文句を言うが、勘右衛門は堪えない。
「だいじょうぶですよ。大坂屋は福富屋さんの宴会からまだ戻っていないし、石見の商人とかいう連中は女郎屋に入ったきりですから」
「尾浜先輩は、山田先生たちとごいっしょだったんですか?」
 伊助が訊く。
「ああ。ホントは三郎と一緒に出るつもりだっただけど、木下先生に用を言いつけられてしまってね。出遅れた代わりに山田先生、土井先生とご一緒させていただくことにしたんだ」
 説明した勘右衛門が訊く。
「で、三郎はどうした?」
「あの船に潜ってる」  
 雷蔵が船に向かって顎をしゃくる。
「そういえば、三郎先輩、おそくありませんか?」
 改めて船に眼をやった伊助が気がかりそうに言う。
「そういえば…まさか三郎、他に囚われている人がいないか探しているとか…?」
 雷蔵と勘右衛門が顔を見合わせる。

 

 

「誰だ!」
 鋭く誰何する声に、またか、と肩をすくめながら三郎は手にした灯を持ち上げた。
「俺だ」
「青鉢…なぜここにいる!」
 だが、今度の相手は警戒を解かない。それどころか刀の柄に手をかけている。ということは、青鉢が本当はこの船にいるはずがないことを知っている人物らしかった。
「俺が分からないとでも言うつもりか? この青鉢様を…」
「お前、青鉢に変装してるな? どこのどいつだ!」
 運が悪いことに、三郎が出会った相手は亀丸だった。青鉢と一緒に女郎屋に行ったはいいが、なじみの女がいなかったので、先に帰ってきたのだ。
 -やべ…バレてるらしい…。
 背中を冷たい汗が伝ったが、まずは相手をごまかしてこの場をやり過ごすことが先決である。何しろここは狭い船の中で、しかも相手の方が内部の構造は熟知しているのだ。戦うにしても逃げるにしても圧倒的に不利である。
「何言ってやがるんだ兄弟。俺を見忘れたってのかよ…」
 取り繕うように言いかけたとき、亀丸の怒鳴り声が響き渡る。
「敵だ! 敵が潜り込んでいぞっ!!」
 -畜生!
 舌打ちをした三郎は素早く懐から煙玉を取り出すと、打竹の灯で点火して投げつける。次いでもっぱんにも点火すると、手にしたまま駆け出した。
「追えっ! 追うんだっ!!」
 思いがけない煙攻撃に咳き込みながらも、亀丸は大声を上げる。それに応じて刀を手にした部下たちが次々と駆けつける。
「何事だ!?」
「敵だとっ!?」
 亀丸の声がする船室に駆け込もうとするが、暗闇からもうもうと立ち込める煙に思わずひるんで足が止まる。
「なんだこの煙は?」
「忍者だっ! この船に忍者が潜り込んでいるぞっ!」
 煙を払いながらようやく船室から這い出てきた亀丸が叫ぶ。
「なに!?」
「忍者だと?」
 刀を構えたまま部下たちが暗闇に足を止めたとき、ちかっと赤い火花が過った。
「敵だ! 敵はそこにいるぞっ!」
 数人が声を上げた瞬間、ぼむ、と小さな爆発音がして猛烈な刺激臭が部下たちを襲った。
「ぐわっ!」
「眼が、眼がッ!」
「げほっ、げほげほっ!」
 数人が刀を取り落して眼を覆ったり咳き込んだ時、暗闇の中から猛然と駆けてきた人影が体当たりして部下たちを突き飛ばす。
「誰だっ!」
「忍者だっ! さっきの忍者だっ!」
 数人が声をからしながらも叫び声を上げる。だが、目や鼻や喉の粘膜を激しく刺激する煙に、立ちあがることもままならない。
「追え、追うんだッ!」
 辛うじて口と鼻を袖で覆った亀丸が煙を潜り抜けながら怒鳴る。だが、狭い船室にもうもうと立ち込めるもっぱんの煙に、逃走者を追うことができる者は誰もいなかった。

 

 

 船の外にも低い爆発音と叫び声は聞こえてきた。その場にいた誰もが、船内で何が起きたかを把握した。
 -まずい! 三郎を援護するぞ!
 半助の矢羽音に雷蔵と勘右衛門が反応する。三人が船に向かって駆けだそうとしたとき、
「そうはさせるか!」
 暗がりから姿を現したオシロイシメジ忍者たちが刃をぎらつかせて斬りかかる。
「うわっ!」
「先生たすけて!」
 とっさに伊助と団蔵が伝蔵の身体にしがみつく。
「こっちを頼む!」
 数人のオシロイシメジ忍者と斬り交えながら伝蔵が叫ぶ。船に向かって駆け出しかけていた半助たちが慌てて駆け戻る。怯えてしゃがみこむばかりの伊助と団蔵を護るように囲んだ伝蔵たちが、ぐるりと取り囲む相手と刀を交える。
 オシロイシメジ忍者の数はそれほど多くはなかった。いつもの伝蔵と半助なら簡単に追い払うことができただろう。だが、いまは生徒たちを守らなければならなかった。
 -くっ…! ハンデが大きすぎる。
 視界の片隅に、苦無を構えた雷蔵と勘右衛門の姿が映った。確かに五年生たちは実力もあるし、戦力として期待はできたが、相手はプロの忍者である。期待しすぎることは危険である。
 -しまった!
 再び斬りかかってくる敵を振り払いながら、刀を構え直したとき、伝蔵は見た。数人の男たちが大きな籠を抱えて船に乗り込んでいた。
 -庄左ヱ門が船に乗せられてしまった!
 

 

 オシロイシメジ忍者たちには、また別の理由で、早く庄左ヱ門を船に積み込んでしまいたい事情があった。
「大坂屋も、あの琉球の連中も何をぐずぐずしているんだ!」
 庄左ヱ門をここまでつれてきたオシロイシメジ忍者の一人は苛立ちを隠せずにいた。こちらはとっとと連れてきた少年を売りつけて帰りたいのに、大坂屋は船に乗せるまでは代金は支払えないと言い、それなら早く乗せろと言ったにもかかわらず、昼間は怪しまれると言って動かず、夜は招待だと言って宴席に出かけている。琉球の海賊の首領たちは首領たちで、大坂屋の宴席に連れだって行ったり、女郎屋に入れ込んだりしてこれまた動く気配が見られなかった。
 このまま無為に堺に留め置かれて、庄左ヱ門の監禁されている蔵の警備を続けているのも限度があった。そもそも彼らにはオシロイシメジ城での通常業務があるのだ。
 -これ以上は堺にいられない。こうなったら実力行使で子どもを船に持ち込んで、代金を支払わせるしかない! 
 そしてオシロイシメジ忍者たちが動き始めたまさにその夜、三郎が船中で騒ぎを起こしたのだった。
 -どういうことだ! 船で何があった!
 -おまけに忍術学園の連中がいるぞ!
 軽い混乱の後に、オシロイシメジ忍者たちは、まずは忍術学園の人間を先に潰すことにしたのだ。
 -こうなったら、ムリにでも出航させるぞ! 忍術学園の連中が船に乗り込んだら面倒だ!
 そしてあらかじめ買収していた船員たちを動員して、夜中にもかかわらず強引に船を出すことにしたのだ。

 


「あっ…!」
 伝蔵たちがオシロイシメジ忍者たちと斬り結んでいた時、ふいに団蔵が立ちあがって声を上げた。
「なにがあったの?」
 うずくまったままの伊助が上目づかいで見上げる。
「船が…出ちゃってる」
 ゆるゆると離岸する船を、放心したように団蔵が指差す。
「なに!?」
 伝蔵たちがはっと岸壁に眼を向ける。先ほどまで錨を下ろしていたはずの船が暗い沖合へと滑り出していた。
 -まずい!
 -庄左ヱ門が連れてかれる!
 -三郎も戻っていない!
 だが、その間にも斬りかかってくるオシロイシメジ忍者たちを食い止めるのが精いっぱいの伝蔵たちだった。 

 


「なん…だと」
 宴席にいた大坂屋は、そっと近寄って耳打ちした手代の言葉に、思わず腰を浮かしかけたままうめき声をもらす。
「船が…勝手に出ただと!?」
 考えられないことだった。亀丸も青鉢も今日は女郎屋に出かけたのではなかったのか。
「あの2人は…?」
 がやがやと騒がしい場だったが、あの琉球人たちの名を口にするのははばかられた。声を潜めて手代に訊く。
「亀丸が行方不明です。青鉢は馴染みのものといることが確認できましたが。それに…」
 いっそう声を低めた手代が口ごもる。
「どうした」
「どうやら、船を出したのはオシロイシメジ忍者が手引きしているようです」
 -そんなバカなことが…!
 もはや声も出せずに大坂屋は椅子に座り込む。その一方で疑問も浮かぶのだった。
 -石見船の水夫たちは、亀丸たちが率いる琉球人のはずだ。海上のことに詳しいとも思えないオシロイシメジ忍者が操れるものか…?
 いずれにしても、現場に行かなければならない。何の手続きも経ずに船が離岸するなど大問題である。おまけに、そこには表に出せない事情が多すぎるのだ。いますぐ接岸させなければ…。
「おや、大坂屋さーん、こちらにいたのですか?」
 ぐいと肩を掴まれてぎょっとして振り向く。そこには真っ赤になったカステーラがいた。
「さあ、まいりましょう。次はハポネスな宴があるそうですよ」
「は、はぽねす?」
 思わず口ごもったところに、福富屋の声が耳に入った。
「さあさ、皆さん! いつもならここでお開きとするところですが、今日はカステーラさんのために日本風の宴もご用意しました! どうぞこちらへ!」
「おお」
「南蛮風と日本風の宴を用意するとは…」
 居並ぶ人々からどよめきが上がる。
「カステーラさん、こちらでしたか」
 人ごみをかき分けながら福富屋が近づいてきた。カステーラの腕を取る。
「今夜の主賓なのですからな、ぜひこちらへ…大坂屋さんのお席もございますからな、ぜひ来てください」
 早口で言うと、カステーラの腕を引っ張らんばかりに人ごみの中へと消えていく。
 -やれやれ。
 取り残された大坂屋は、ようやく一人になれたことに安堵のため息をつく。
「どうぞこちらへ!」
「お席はもうご用意してあります!」
 手代や小僧たちが声を張り上げて客たちを次の宴席へと案内する。上機嫌にざわめき歩く人々からそっと離れて帰ろうとした大坂屋だったが、その腕を誰かが掴んだ。
「大坂屋さんではないですか…次の宴の席はこちらですよ」
 声をかけてきたのは越前屋だった。
 -ったく、都合の悪いことだ…。
 内心舌打ちをした大坂屋だったが、あくまでにこやかに応える。
「おや、これは失礼…少し酔ってしまったようですな…」
 

 

「大坂屋さんは、明らかに奴隷貿易に関与してマース。私に、男の子の奴隷を引き渡す準備があると言っていました」
「…ついに尻尾を出しましたな」
 声を低めて報告するカステーラに、福富屋がうめきながら懐紙で額を拭う。先ほどから汗が出て止まらないのだ。
「いやはや、これはとんだ堺の名折れだ…」
 角屋が天井を仰ぐ。
「まったくもって」
 腕組みをした大野屋が呻る。
 次の宴席へと移動する動きに取り紛れて、福富屋とカステーラ、角屋と大野屋が締め切った座敷に集まっていた。
「大坂屋さんは何度もそっと帰ろうとしていました」
 隣の席にいたカステーラは、多くの人と談笑しているように見せてしっかり観察していた。
「ということは、よほど船で気になることがあるということなんでしょうか」
 大野屋が呟く。
「そうかもしれません。あるいは、もっと急を要する事態が起こっているのかも知れない」
 汗でぐっしょり濡れた懐紙を懐に押し込みながら福富屋が言う。
「いま、大坂屋さんは?」
「越前屋さんが確保しているところです」
「いずれにしても時間がない」
 角屋が焦りをにじませて言う。あえて最初の宴席からは離れた座敷に次の席を用意していたが、いくら鷹揚に構えている会合衆の人々といえど、あまり主人たる福富屋や客人たるカステーラが姿を現さなければ、怪しまれる恐れがあった。
「そうですな。我々もそろそろ行かなければ…」
 小さく頷いた福富屋は、「ではこちらへ」と座敷の奥へと歩きはじめる。
「こちらへ?」
 戸惑ったように大野屋が声を上げる。
「こちらが次の宴席への近道なのです。ささ、お急ぎください」
 

 

 -船が動き出した?
 亀丸たちの追跡をかわして船室の一つに逃げ込んだ三郎は、いつのまにか船が動いていることにようやく気付いた。
 -どういうことだ。船は接岸していたのではないのか?
 だが、板壁を隔てた向こうでは、水夫たちが掛け声をあげて櫓をこいでいる。
 -どうする? どうすればいい?
 パニックになりそうなのを強引に押さえつけて、物陰に座り込む。
 すぐにも海に飛び込べば、岸に泳ぎ着けるかもしれないと考えかけて、慌てて首を振る。
 -だめだ。そんなことをすれば音でばれるし、泳いでいるところを弓矢で射かけられたりしたら抵抗できない。それに、暗くて岸が見えなかったらどうする…。
 上級生として忍の実力は持っている三郎だったが、これほどの想定外の事態にどのようにすればいいかはまったく見当がつかなかった。上級生といえどもまだ十四歳の子どもなのだ。
 -とにかく落着け!
 臨兵闘者皆陣烈在前、臨兵闘者皆陣烈在前と心の中で印を切りながら必死で心を落ち着けようとする。浮足立った状態でものを考えても益がないことは自分が一番よく分かっていた。
 -誰か来る!
 三郎が身を隠したのは船尾の屋形下にある倉庫のひとつだった。たくさんの櫃や樽が並んでいる。その影にしゃがんだ時、足音が近づいてきた。燭台の灯がゆらゆらと壁や天井にうつる。
「とりあえずここに置くか」
「そうだな。いまは堺を離れるのが先だ。どうせ途中でほかの『商品』も積むんだろうから、そのときにコイツの置き場も決めればいい」
 そう言って大きな籠を据えると、男たちは立ち去った。
「…」
 気配を消したまま、三郎はそこに置かれた籠の中身を探ろうとした。と、ちいさく啜り上げる音が聞こえた。
 -中に子どもが入れられている?
 そう考えたとき、はっと気づいた。この船に、いかにも人目を避けるように籠に入れて連れ込まれる可能性が最も高い子どもが誰かを。
「そこにいるのは庄左ヱ門かい?」
 足音を忍ばせて近づいて、そっと声をかける。啜り上げる音が止まった。
「…だれですか?」
 ためらいがちな押し殺した声が籠の中から聞こえた。
「私だ。鉢屋三郎だ」
「三郎先輩?」
 でも、どうして…と呟く。
「庄左ヱ門を助けるために決まっているだろ?」
「でも、船が出てしまってるんですよ…このままでは、先輩もぼくといっしょに南蛮に売られてしまいます」
 このような状況でもしっかり周囲の状況を把握しようとする庄左ヱ門がいじらしかった。そして、自分のことまで気にかけている。
「ああ、船が出たのは事実のようだね。だが、南蛮に売られるというのは間違いだな」
「どうして…ですか?」
「私と雷蔵、一年は組の連中が助けに来たからには、お前をみすみす南蛮なんぞに連れて行かせることなんかさせないってことさ」
 声を潜めながらも力強く話しかける。
「雷蔵先輩と、は組のみんなが…?」
「そうさ。あとでこの籠から出してやるから、もう少しだけ我慢するんだ。いいね?」
 そのためにどうすればいいかはまだ分からなかったが、安心させるための言葉に籠の中から「はい!」と返事があった。そのとき、
「さっきの忍者はどうした!?」
「まだ船の中にいるはずだ。ぜったいに見つけ出せ!」
 灯を手にした数人が慌ただしく声を上げながら通り過ぎて行った。
 -やれやれ。しょうがないな…。
 不思議と気持ちが落ち着いていた。
 -庄左ヱ門のおかげだな…。
 探していた後輩に会えたことで、頼りがいがあるところを見せなければと思うことで、ようやくいつものように冷静な状況分析ができる思考を取り戻すことができた。
 -とにかく、連中に私を探すのを止めさせなければな。
 人の気配がないのを慎重に確かめながら、そっと舷側に出る。少し沖合に出たところで停まることにしたらしい。櫓をこいでいた水夫たちの姿もなく、船上には数人の見張り役がいるだけだった。
 -よし。今だ。
 物陰に隠れながら船べりに近づいた三郎は、何か入っているらしい重い箱を苦労して持ち上げると、海中に投げ込んだ。
「そこにいるのは誰だ!」
「誰か海に飛び込んだぞ!」
「忍者だ! さっきの忍者が飛び込んだんだ!」
 大仰な水音に、灯りや武器を持った水夫たちが駆けつけてくる。
「おぅい、こっちだ! 忍者が泳いでるぞッ!」
 水夫たちの一人に化けた三郎が海面を指差しながら声を張り上げる。
「そっちか!」
「灯りを持ってこい!」
 数人の水夫が駆け寄ってくる。
「海面を照らせ!」
「そう遠くには行ってないはずだ。矢で射掛けろ!」
 海面を覗き込みながら叫ぶ水夫たちを背に、何食わぬ顔で三郎は船室へと向かう。
 -夜半の嵐の術、大成功!
 と思いながら。

 

 

 -船が出たぞ。
 -よし。退け。
 目配せで合図をしたオシロイシメジ忍者たちは、煙玉を投げつけるや姿を消した。
「待てっ!」
「半助、深追いするな」
 追おうとする半助を、口元を袖で覆った伝蔵が制する。
「しかし…!」
「あの船には三郎も潜っている。あるいは庄左ヱ門を助けることができるかも知れん…それより、このことを早く福富屋さんに知らせるのだ」
「は、はいっ…よし、お前たちも来るんだ!」
 頷いた半助は、伊助たちを振り返る。
「「はいっ!」」

 


「ようし、異界妖号。今日はもう寝るんだぞ…」
 夕食を済ませた清八は、馬の様子を見に厩に来ていた。清八の声に、馬は安心したように脚を折って座りこむ…と、不意に首を上げて耳をぴくつかせる。
「どうした? なにかあったのか?」
 立ち去りかけていた清八が声をかける。落ち着かせようと首をなでる。
 -あれは?
 慌ただしい足音が間近に聞こえて、清八は振り返った。
「あっ!」
 足音の一つが立ち止まる。その声はとても馴染んだものだった。
「清八!?」
「若旦那!?」
「そうだ!」
 何か思いついたように駆け寄った団蔵が声を上げる。
「どうしたんですか?」
「今から、ぼくといっしょに兵庫水軍に行ってもらいたいんだ! 清八、乗せてってよ!」
「い、今からですか?」
 今日のところはもう寝るばかりだと思っていた清八が思わず声を上げる。
「団蔵、どういうことだ?」
 やりとりを聞いていた勘右衛門が声をかける。
「船のことは、水軍さんにまかせたほうがいいとおもったんです! だから…」
「兵庫水軍に加勢してもらおう、というわけだな」
 半助が付け加える。
「そうです!」
 団蔵が異界妖号の背によじ登ると、馬はいななきながら立ちあがった。よく事情が呑み込めないながらも、続いてまたがった清八が団蔵の背に覆いかぶさるようにして手綱を取る。
「よし行くぞ、異界妖号!」
 もう一度いななくと、馬は2人を乗せて駆け出した。
「…だけど、こんな夜中に兵庫水軍まで行くなんて、無謀だと思うけど」
 夜空を見上げた雷蔵がつぶやく。
「だいじょうぶだとおもいます」
 傍らにやってきた伊助の言葉に、雷蔵は軽く眉を上げて伊助を見下ろした。
「どうしてそう思うんだい?」
「団蔵がまえに言ってました…清八さんは夜中でも峠道を馬で走らせることができるくらいすごい馬借なんだって」
「そういうわけか」
 感心したように腕を組んだ雷蔵が、団蔵たちが駆け去ったほうに眼をやる。
「…あとは、間に合ってくれることを祈るばかりだね」

 

 

「あけてください! あけてくださいっ!」
 戸板をばんばんと叩く音とともに切羽詰まった声が聞こえる。
「ふわぁぁ~い、なんだ、こんな時間に…」
 物音に目覚めた由良四郎があくびをしながらぶつくさ言う。
「見てきます」
 眼をこすりながら起き上った網問が、よろめきながら戸口に向かう。
「誰だ」
 戸板に顔を寄せて問う。
「忍術学園の加藤団蔵です! 急ぎの用なんです! あけてください!」
「忍術学園だって?」
 慌てて戸を開けると同時に、少年と大柄な青年と馬が一斉に戸口に身を乗り出してきたので、網問は思わず後ずさった。
「きいてください! 一年は組の庄左ヱ門が船でさらわれちゃったんです…!」
「水をください! 早く異界妖号に飲ませてやりたいんです!」
「ぶひひ~~ん!」
「ちょ、ちょっと待った…!」
 両手で制しながら網問が声を上げる。騒ぎを聞きつけて他の水軍メンバーが起き出してきた。
「んだよ、こんな時間に騒がしいな」
「なにがあったんだ?」
「義兄ィ、間切兄ィ」
 うろたえた網問が振り返る。
「…何とかしてください…忍術学園の人だっていうから開けたらこの騒ぎで」
「おう、そうか」
 あくびをかみ殺しながら義丸が言う。
「じゃ、親方を呼んでくるよ」
「そんなのんびりしたこと言ってる場合なのかな…てか、押さないで! 水なら外の井戸にあるから適当に汲んできてください!」
 まだてんでに声を上げながら戸口から身を乗り出す2人と一頭を押し戻しながら網問が叫ぶ。

 

 

「ほう、つまり、その琉球人に乗っ取られたらしい石見の船に、君の友人が乗せられてしまったということか」
 半刻後、ようやく騒ぎもおさまり、水軍館の奥の部屋に陣取った兵庫第三共栄丸以下兵庫水軍のメンバーを前に団蔵が事情を説明すると、兵庫第三共栄丸が大きく頷いた。
「そうなんです! だから、早く助けてください!」
 端座した団蔵が身を乗り出す。
「わかった…だが、その前に、堺に寄る必要がありそうだな」
 腕を組んだ第三共栄丸が低く言う。
「どういうことですか?」
 団蔵が首をかしげる。
「その船にどんな特徴があるか、お前は説明できるか?」
 第三共栄丸に代わって蜉蝣が訊く。
「とくちょう?」
 団蔵が頓狂な声を上げる。
「海にはたくさんの船がある。兵庫水軍といえども、相手の船が特定できなければ探すことなどできない」
「って言っても、木でできていて、帆があって、ちょっと大きくて…」
 自信なげに団蔵がこめかみに手を当てて並べ立てる。居並ぶ水軍メンバーがはぁっ、とため息をつく。
「あのな。船は木でできてるもんだし、たいていの船には帆がある。それでどの船に庄左ヱ門が連れ込まれたかなんて、いくら俺達でも分かりようがないんだ」
 噛んで含めるように蜉蝣が説明する。
「…お前たちの仲間が堺にいるんだろう? もしかしたらもっと詳しく分かる人がいるかもしれないからな。だから堺に寄ると親方は仰ってる」
「そーなんですかあ。やっとわかりました!」
 屈託なく笑顔で答える団蔵に、水軍メンバーはさらに深くため息をつくのだった。

 


「これはこれは、庄左ヱ門の救出にご協力いただき、ありがとうございます」
 堺の港に着いた兵庫第三共栄丸を伝蔵たちが出迎えた。
「して、庄左ヱ門君を連れ去った船の特徴はありますか」
 第三共栄丸が訊く。
「それがですな…」
 伝蔵が困惑したように口ごもる。
「…二百石積み程度のごくありきたりの弁才船としか言いようがない船なのです」
「ごく普通の弁才船、ですか」
 困惑がうつったように由良四郎がつぶやく。
「だが、そう遠くへ行ったとは考えにくいですな」
 涼しげな声に皆が振り向く。現れたのは福富屋とカステーラである。
「福富屋さん」
「カステーラさんも」
 兵庫水軍の面々が頭を下げる。鷹揚に手を振った福富屋は、第三共栄丸に向き合う。
「で、どうして遠くに行ったとは考えにくいと?」
 第三共栄丸が訊く。
「山田先生たちから伺いました。昨夜船に積み込まれたのは籠ひとつきりだと」
「たしかに。私だけでなく、土井先生や雷蔵たちもそう言っています」
 顎に手を当てながら伝蔵が頷く。
「だとすれば、彼らには『商品』が一人しかいないことになる。いくら奴隷貿易が金になると言っても、それでは商売になるはずがない。彼らは追加で『商品』を仕入れなければならない。それが一つ。それに…」
「それに?」
 第三共栄丸たちが身を乗り出す。
「急に船が出たために、彼らの仲間の一部が堺に取り残されています。正確には、あの船を乗っ取った琉球人の海賊2人組のひとりと、彼らを雇った大坂屋さんです」
 船が出港した知らせを聞いた福富屋たちは、カステーラ歓迎の宴が果てた後、大坂屋を福富屋の座敷に軟禁していた。女郎屋から戻った青鉢には、半助率いる雷蔵、勘右衛門が張り付いていた。
「特に青鉢なる海賊の動きは重要です」
 福富屋は続ける。
「彼の仲間である亀丸とやらは船にいる。彼らは青鉢を回収しようとするでしょう。従って、何らかの方法で連絡を取って合流しようとするに違いない」
「そのために、その青鉢ってやつを泳がせておくってことですね」
 それまで黙っていた鬼蜘蛛丸が言う。
「そういうことです。そのためにも、彼らは遠くへは行けないはずだ」
 福富屋が大きく頷いたとき、「失礼します」と現れたのは雷蔵である。
「堺の街から一里ほど離れた海辺で、青鉢が狼煙の準備をしています」
「…現れましたな」
 雷蔵の報告に福富屋が呟く。
「では、われらもその海岸に向かうとしよう。出航の準備だ!」
「「へい」」
 声を上げた第三共栄丸に水軍メンバーたちが返事をしたとき、
「ぼくたちも乗せてください」
 いつの間にか一年は組たちがそこにいた。一歩進み出た伊助が申し出る。
「うむ?」
「ぼくたち、ずっとあやしい石見の船をみはっていました。だから、みかければすぐにわかると思うんです」
 それは半ばはったりだった。とにかく庄左ヱ門の近くにいたかった。できることなら庄左ヱ門が囚われている船に真っ先に乗り移って、庄左ヱ門を見つけ出したい。それだけだった。
「私からも、お願いできますか」
 伝蔵の声に、は組たちがいっせいに顔を向ける。
「…水軍がどのように敵船を拿捕するのかを見ることは、いい経験になると思うのです」
「なるほど、授業ですか…ならいいでしょう」
 第三共栄丸はあっさりと頷いた。
「ようし。忍たまたちを乗せたら出航するぞ!」
「「わ~い!」」
 第三共栄丸が言い終わらないうちに、歓声を上げながらは組たちが船に乗り込む。

 


「ったく冗談じゃねぇ。どういうことだ」
 毒づきながら青鉢は、夜が明けるのを待って狼煙の準備をしていた。
 前の晩の出来事は、まだ半ば幻で半ば悪夢のように思えた。馴染みの女郎屋から帰ってくると、あろうことか船が消えていた。慌てて大坂屋に行くと、主は宴席から戻っておらず、撤収しかかっていたオシロイシメジ忍者は船は出航させたとだけ言い捨てて姿を消してしまった。とにかくこのまま堺にとどまっていては危ないと判断して脱出した。
 あらかじめ亀丸とはぐれてしまった時のための連絡手段を用意しておいたのは正解だった。そのひとつが狼煙だった。沖合にいくつも見える帆影のひとつが、仲間の船かも知れない。今はそう信じて狼煙を上げるしかない。そうでなければ、自分は見ず知らずの土地で、陸に上がった河童のように捨て置かれてしまうことになる。  
「お?」
 狼煙に呼応するように沖合に停泊していた帆影の一つがこちらに向かってくるように見えた。同時にもう一つの帆影も動いているように見えた。
 -どっちの船だ?
 帆影はまだ遠く、遠目の利く青鉢にもどちらが仲間の船か見分けることはできない。  

 


「あの船が怪しいです」
 遠眼鏡を使っていた鬼蜘蛛丸が言う。
「どれ」
 第三共栄丸も遠眼鏡を覗き込む。
「ふむ…なるほど二百石積みの弁才船だな」
「で、どうします?」
 鬼蜘蛛丸が訊く。
「あのサイズの船は、浜辺に着けることはできない。とすれば、沖合から小舟を出して青鉢とやらを船に回収するだろう」
 腰に手を当てて弁才船を睨みながら第三共栄丸は続ける。
「…とすれば、これ以上近づかないようにあの船を見張るのが一番だ。見たところ、あの船はこれ以上は行けないところまで岸に近づいている。あとは…」
「青鉢が海に入りました。船に向かって泳いでいます」
 第三共栄丸が言いかけたところに、遠眼鏡を覗いていた鬼蜘蛛丸が声を上げる。
「んだと?」
 第三共栄丸も遠眼鏡を眼に当てる。 
「あいつら、青鉢を乗せるということは庄左ヱ門をさらった連中ということだ…おい、義丸!」
「はい」
 控えていた義丸が進み出る。
「あの青鉢が船に乗り込んだらすぐにあの船につける。お前は須磨留で引き寄せろ。接舷したら一斉に乗り移るぞ!」
「ちょっと待ってください、親方」
 由良四郎がとどめる。
「どうした?」
「あの船を一気に制圧できるならそれでもいいでしょうが、連中に庄左ヱ門君を人質に取られたら我々は手を出せなくなる。ちょっと危険じゃないですか」
「ならどうする」
「それを考えているのですが…」
「あの…」
 海図を囲んで座っている水軍たちの背後から遠慮がちに声をかけたのは伊助である。
「今は作戦会議中だ。あとにしてくれないか」
 海図に眼を落としたまま第三共栄丸が注意するが、伊助は引き下がらない。
「あの、ぼくたちに作戦があるんです」
「作戦?」
 面倒くさそうに顔を上げた第三共栄丸の顔がぎょっとしたようにこわばる。つられて振り向いた水軍メンバーも眼にしたものに表情が引きつる。
「お、おま…誰だ?」
 辛うじて声を上げるが、動揺は隠しきれない。
「ぼくです。伊助です」
 そこに立っていたのは、庄左ヱ門の顔をした伊助だった。
「…庄左ヱ門に変装してみたんです。にてますか?」
「へ、変装だと?」
「なるほど、言われてみれば…」
「言われなきゃわからんな…」
 立ちあがって伊助を囲んだ水軍たちが、感心したようにためつすがめつ眺めまわす。
「で、これがどんな作戦なんだ?」
 動揺がやっとおさまった第三共栄丸が、腕を組んで訊く。
「敵を撹乱するんです…庄左ヱ門に変装した伊助たちを船に送り込んで」
 いつの間にか船室の入り口に雷蔵と勘右衛門が立っていた。
「そうか。同じ顔をした子どもが出没すれば、連中は混乱するだろう。あるいは妖怪と勘違いするかも…」
 由良四郎が顎に手を当てる。
「ト、トモカヅキとかな…」
 疾風が強がって見せる。正体が分かっている妖怪など怖くはないはずだが、声が震えている。
「疾風兄ィ、自分で言って自分で怖がるくらいなら、言わなきゃいいのに…」
 面白そうに見ていた間切が、傍らにいた網問にささやきかける。
「るせぇ! ぜんぶ聞こえてんぞ、間切!」
「で、どんな作戦にするんだい?」
 顔を赤くしながら怒鳴り散らす疾風をよそに、鬼蜘蛛丸が訊く。
「実はあの船には、僕たちの同級生の鉢屋三郎も潜っています。彼は変装の天才ですから、いまごろ海賊の誰かに変装して庄左ヱ門を探していると思います」
「つまり、あの船には忍たまが2人いるということだな?」
 第三共栄丸が腕を組んだまま顔をしかめる。助けるべき人間が2人ということは、手間も二倍ということである。しかも誰に変装しているか分からないというのでは、救出しようがない…。
「そうです。だから、僕たちをあの船に潜り込ませてください。庄左ヱ門と三郎を助け出した後の始末は、お願いできますか」
 船室に入ってきた雷蔵と勘右衛門が、伊助と並んで座る。
「…どうしますか、親方」
 考え込んでいる第三共栄丸に、由良四郎が声をかける。
「…よし」
 ゆるゆると腕をほどいた第三共栄丸が口を開く。
「その作戦で行こう。日が暮れたら闇にまぎれて小早を出すから、あの船に潜り込むんだ。行くのは君たち3人だな」
「「いえ! ぼくたちもいきま~す!!」」
 声とともにわらわらと駆け込んできたは組のメンバーに、水軍たちがふたたび口をあんぐりと開けた。
「これは…」
「みんな同じ顔してやがる…」
 恐ろしそうにささやき交わす水軍たちに、にこやかに伊助が説明する。
「お化けなら、いっぱいいた方がきもちわるいと思って…」
「君は変装してないんだね」
 ひとり変装していないしんべヱに、網問が話しかける。
「ぼくだっていきたかったのに…」
「ごめん、しんべヱ。しんべヱにはもっとだいじな役目があるから」
 むくれるしんべヱを伊助が済まなさそうになだめる。
「役目?」
 網問が首をかしげる。
「しんべヱはぜったいに水にしずまないんです。だから、庄左ヱ門を助けたあと、みんなで海にとびこんだときにはしんべヱにつかまることにしているんです」
「だけど、暗くなってから海に飛び込むのは危険だ。どこにしんべヱ君が浮いているかも分からないんだぞ?」
 黙って聞いていた義丸が指摘する。水練の者といわれる義丸だからこそ、夜間の海の危険は身に染みて知っていた。忍たまたちは認識していないようだが…。
「いえ、だいじょうぶですっ!」
 伊助が断言する。
「なぜ?」
「しんべヱは食べものに眼がないんです。だから、ぼくたちはおまんじゅうをもっていくんです」
 伊助の言葉に、全員が懐から饅頭を取り出す。たちまちしんべヱの鼻がひくつき、よだれが垂れる。
「泳ぎながらおまんじゅうを出せば、しんベエの方からきてくれるんです」
「…」
 ホントかいな、と疑わしげな眼になった義丸たちだったが、第三共栄丸の声にはっとして振り返る。
「よしわかった。陽が暮れたら作戦開始だ!」
「「おう!!」」

 


 夜になった。月はまだ出ていない。わずかな星明りだけが海面を照らしている。青鉢を回収した弁才船はこのまま停泊するつもりのようである。
 船端に忍び梯子がかけられ、雷蔵と勘右衛門に引率されたは組たちが荷物の陰にかくれながら船内へと散っていく。
「大丈夫でしょうか」
 少し離れたところで停船させた水軍船の船首で海風に吹かれながら黙然と弁才船を睨みつけている第三共栄丸に、義丸が声をかける。
「ああ、連中ならきっとやるだろうさ」
 ぼそりとした声が答える。「…それにしてもよ、忍者ってのはたいしたものだな」
「…ですね」
 小さく笑いながら、義丸も弁才船に眼を向ける。
「あんな小さい子どもが、あそこまで大それた作戦を考えるとは」
 聞けば、庄左ヱ門に変装して撹乱する作戦も、救出後は海に飛び込んでしんべヱをまんじゅうで手繰り寄せる作戦も、伊助が考えたものだという。そして、上級生だという少年たちも、その作戦に完全に同意しているのだ。年相応の子どもとは思えない空恐ろしさをおぼえたのは義丸だけではなかったはずだ。
「まあ、お手並み拝見といこう。小早に鬼蜘蛛丸と疾風をつけている。なにかあればあいつらが援護できるだろう」
 不意に風の向きが変わった。長い髷が前に流れてきて、義丸は手で払う。舳先に仁王立ちになった第三共栄丸は、身じろぎもせず弁才船を睨み据えている。

 


(雷蔵、勘右衛門アンド一年は組のよい子たちがなぜここに…?)
 船尾の屋形の陰に陣取っていた三郎が船端から続々と忍び込む仲間たちを発見するのは簡単だった。ようやく堺から出航できて安心したのか、見張りの水夫たちも数が少ないうえに眠りこけている。
(もちろん、庄左ヱ門を助けるためさ)
 勘右衛門が声を潜めてにやりとする。
(で、は組のよい子たちは、おそらく敵を撹乱しようとする算段なんだろうけど…)
 傍らにみっしりと集まったは組たちに眼をやった三郎はため息をつく。
(…もう少しまともな変装はできないのかい? ちっとも庄左ヱ門に似てないじゃないか)
(すまん、三郎。僕たちが変装させてやったんだけど、三郎ほどうまくできなくて)
 雷蔵が苦笑いする。
(しょうがないな。私もあまり道具を持っているわけじゃないけど、少しは直さないと…)
 ぶつくさ言いながら懐から化粧道具を取り出す。
(じゃ、まずは伊助。顔こっち向けて…ついでに船内の構造と庄左ヱ門の居場所を説明するから)
(はい)
 手早く変装を施す三郎に皆が耳を澄ます。

 


「おい、見回りの時間だぞ」
 酔いつぶれて壁にもたれている水夫の一人を、亀丸が足先で突いて起こす。
「…んだよ。やっとあんな辛気臭いとこから出られたってのによ」
 ぶつくさ言いながら身を起こす。
「つべこべ言ってんじゃねぇ。さっさと行って来い」
 手にしていた灯を押し付けると、亀丸はもう一つの灯を手に行ってしまった。
「ったくよ…」
 酔いが回った眼でよろよろと足を進めていた水夫だったが、ふと気配を感じて立ち止まった。
「だれだ」
 気配を感じた方に灯を突き出す。と、そこには子どもの姿があった。
「ばあ」
 一言いうや、子どもは素早く荷物の陰に隠れてしまった。
「な…あれは『商品』の小僧じゃねぇか…おぅい! 子どもが逃げたぞっ!」
 たちまち酔いが醒めた水夫は声を張り上げながら、子どもが逃げ込んだ荷物の影を覗き込もうとする。
「なんだと!」
「子どもが逃げただと!?」
 たちまちいくつもの声が飛び交う。
「落ち着け! そんなに簡単に逃げられるわけがあるか!」
 見回りの声に一瞬ぎょっとした亀丸だったが、すぐに庄左ヱ門を閉じ込めた部屋に駆け込む。先ほど、怪しげな忍が海に飛び込んだと知らされた後に、すぐに庄左ヱ門がいることは確認してあった。ということは、庄左ヱ門を連れ出すような仲間はもう船内には残っていない、はずだった。
「ん…だと?」
 荒々しく庄左ヱ門を閉じ込めた籠を引っくり返した亀丸は声を失った。籠の中は、空っぽだった。
「何の騒ぎだ、亀丸!」
 青鉢たちが駆け込んだ時、亀丸はまだ空っぽの籠を前に呆然と立ち尽くしていた。
「子どもがいない!」
 水夫の一人が声を上げる。
「探せ! 探すんだ! まだ船の中にいるはずだ! 必ず探し出せッ!」
 弾かれたように振り返った亀丸が怒鳴り声を上げる。
「「おう!」」
 青鉢と水夫たちが駆け出そうとしたとき、「見つけたぞ!」と声が上がった。
「ふ…なんだ驚かせやがって」
 気がつくと額に冷たい汗が伝っていた。苦笑いしながら青鉢が袖で拭う。所詮は子どもである。この狭い船の中で隠れおおせることなど、できるはずがないのだ…。
 だが、その苦笑は、あちこちから響き渡る声にたちまち凍りついた。
「いたぞ!」
「こっちにもいたぞ!」
「待ちやがれ!」
 足を踏み出しかけた水夫が、こわばった表情でこわごわ振り返る。
「…どういう、ことだ…?」
「いやまて、落ち着け!」
 今にもパニックに陥りそうな水夫たちを亀丸が制したとき、ごとりと船室の隅で音がした。
「誰だッ!」
 青鉢が灯を突き出す。
「ぼくで~す」
 荷物の陰からひょいと顔をのぞかせた子どもが、にやりとするとすぐに姿を消した。
「あ、あそこだ!」
「あんなところに…!」
 青鉢たちが駆け寄ろうとしたとき、背後の船室の入り口に面した通路を小さな足音が近づいてきた。
「はろ~」
 振り返った水夫が手にした灯に照らされた子どもは、立ち止まってにこやかに手を振ると、通路を走り去った。
「ちょっと…まて…」
「あっちにも、いたよな」
「それから、こっちにも…」
 おどおどと子どもが出現した場所を指差しあう水夫たちの表情は、恐怖で引きつっている。
「こいつは、トモカヅキかもしれねえ」
 誰ともなく口にした一言が、辛うじて保っていた平静を突き崩した。
「妖怪だ! 妖怪が出たっ!」
「船玉様にお祈りだ!」
「ムダだ! この船は呪われてるんだっ!」
 パニックに陥った水夫たちが、やたらと叫び声を上げながら一斉に駆け出す。
「おい…まて…」
 船室に取り残された亀丸と青鉢が、力なく声を上げる。ぼんやりした視界に、荷物の陰から現れて近づいてくる子どもの姿が映った。
「ねえ、おじさんたち」
 腰に手を当てた子どもはしかつめらしく言う。
「庄左ヱ門にひどいことをしたおしおきが、こんなものでおわると思ったらおおまちがいだからね」
 そして、落ち着き払って船室を横切って、通路へと姿を消した。

 


「そろそろだな」
「ああ」
 最初に庄左ヱ門を救出して小早で待機していた雷蔵に託した三郎と勘右衛門が小さく頷き交わす。勘右衛門が合図の花火を上げる。
「なんだ?」
 屋形の上から唐突に上がった花火に、逃げ惑っていた水夫たちの足が一瞬止まる。と、あちこちから波音が上がる。
「どういうことだ?」
「トモカヅキが、海に戻ったのか?」
 戸惑ったように小声で水夫たちが声をかわす。
 花火の閃光と爆音も、海面からの水音も、すぐに止んだ。穏やかな波音が舷側を打つ音だけが聞こえていた。何ごともなかったような静かな夜だった。だが、その静けさも長くは続かなかった。

 


「全員そろってるか」
「「はい」」
 磁石の周りに吸い付いた鉄片のようにしんべヱの身体にしがみついているは組たちを小早に引き上げた三郎と勘右衛門が確認する。全員の無事を確認した三郎が、船尾で櫂を構えた鬼蜘蛛丸に顔を向ける。小さく頷いた鬼蜘蛛丸がそっと漕ぎ出す。入れ替わりに近づいてきたのは、疾風が漕ぐ小早である。雷蔵と庄左ヱ門を乗せて水軍船に戻ったあと、間切や重、網問たちを乗せて再びやって来たのだ。
「じゃ、あとはお願いします」
 ぺこりと頭を下げた三郎たちに「おう」と手を挙げて応えた疾風は、投げ焙烙の準備をしている仲間たちに声をかける。
「アイツらが十分離れたら攻撃開始だ。抜かるんじゃねえぞ」

 

 

「よし、攻撃開始だ!」
 水軍船の船べりにかけられた梯子を伝って忍たまたちが船に戻るのを見届けた疾風が、低い声で命じる。
「へい」
 今や遅しと待ち構えていた間切たちが、投げ焙烙に次々と点火しては弁才船に投げ込む。
 最後の一個を投げ込んだのを見届けた疾風は、仲間の手を借りて全速力で漕ぎ離れる。なぜならそのときには弁才船のあちこちに着弾した投げ焙烙が一斉に火を吹いていたから。
「疾風兄ィ、あれ…」
 ふと立ちあがった重が弁才船を指差す。
「なんだあれは…」
 間切が呟く。その視線の先には、炎に包まれた弁才船があった。それは、投げ焙烙に引火した荷物が燃え上がっただけでは説明できない激しい炎上だった。
「…そういうことか」
 疾風がぼそりと言う。
「え?」
 振り返った重が訊く。
「忍たま上級生が言っていた。弁才船にいろいろ仕掛けをしたとな。あれもあの忍たまたちの仕業だろう。船中に伝火を仕掛けたに違いない」
 そのとき、ひときわ大きい爆発音が響き渡って、疾風たちは思わず耳を覆った。海面に赤い炎が映え渡る。こわごわ弁才船に眼を戻した疾風たちの眼に映ったのは、上部が半ば吹っ飛んだ屋形が燃え盛り、帆とともに燃え上がっていた帆柱がめりめりと音を立てて倒れていくさまだった。船べりからは炎に追われた水夫たちがつぎつぎと海面めがけて飛び込んでいく。
「…水軍の戦い方じゃないな」
 おそろしそうに網問が呟く。殲滅戦に近いやり方は、水軍の戦法とはかけ離れたものだった。網問たちは知らない。この過剰な攻撃が、後輩を誘拐された三郎たちの怒りの現れということを。

 


「庄左ヱ門…よかった…」
 一足早く水軍船に引き上げられていた庄左ヱ門の姿を認めた伊助は、思わずしがみついた。
「伊助…」
 戸惑ったように声を上げた庄左ヱ門だったが、すぐに伊助の頭を抱き寄せる。海から上がったばかりで全身びしょ濡れだったが、かまわなかった。
 -ぼくを助けるために、伊助たちはがんばってくれたんだから…。
 そして、もっとも親しい友人の温もりを抱き留めているうちに、庄左ヱ門の身体のなかからも暖かいものが湧き上がってきた。それは心地よい温もりを全身にめぐらせて、急速に疲れと眠気を催す。

 


 海面を赤々と照らしながら炎を上げる弁才船を、水軍メンバーも忍たまたちも船べりに寄りかかって眺めている。
「そういえば、庄左ヱ門は?」
 燃え盛り、半ば沈みかかった弁才船に眼を奪われていた乱太郎が、ふと気づいたように振り返る。
「そこにいるよ」
 傍らに立っていた三郎が立てた親指で差す。
「あ…」
 皆が集まっているのと反対の船べりに寄りかかって、庄左ヱ門は眠りこけていた。そして、その身体に寄り添うように伊助も眠っている。その肩には庄左ヱ門の手が添えられている。
「庄左ヱ門も伊助も、すごく気持ちよさそう…」
 乱太郎の声に、は組たちが集まってくる。
「ホントだ」
「庄左ヱ門、ひとりでがんばったんだね」
「伊助も、庄左ヱ門のためにがんばったもんね」
 兵太夫と金吾がささやき交わす。
「そうだ。だから、今はそっとしといてやろうな」
 三郎が、どこからか持ってきた風呂敷をそっと2人の身体にかけてやる。
「「は~い」」
 声を潜めて答えながら、は組たちは足音を忍ばせて船室に戻る。空には星がまたたいている。

 

<FIN>

 

 

 

←  Return to さらわれた庄左ヱ門   

Continue to Settlement     →

 

Page top ↑