犬猿近繋(2)

 

 -ヤツだ…。
 文次郎が歯ぎしりする。その視線の先には、横座りして覆面越しに竹筒からストローで雑炊を飲んでいる雑渡昆奈門の姿があった。
 -よせ。お前ひとりでかなう相手じゃない。それに、あんなにタソガレドキ忍者が控えてる中に一人で飛び込むつもりかよ!
 今にも飛び出しそうな文次郎の肩を、留三郎が必死にとどめる。
 学園長の指示どおり裏裏裏山の石を持ち帰った2人は、帰りがけに見かけたタソガレドキの陣に潜り込んでいた。昆奈門の姿を眼にしていきり立った文次郎に巻き込まれて留三郎が連れ込まれた、という方がより正確だったが。
 -どけ! アイツとはいずれ勝負をつけないといけねえんだ!
 -勝負をつけるのは勝手だが、俺のいないときにしやがれ!
 今は縄でつながっているのだ。それも、何回も切れては結んでいるので、学園を出たときよりだいぶ長さが縮まっている。
 -るせえ! 退きやがれ!
 なおも留三郎は引きとどめようとする。
「来てるようだね」
「は」
 昆奈門たちの陣では、文次郎たちの気配はとっくに気取られていた。
「私がいることは分かっているだろうに、なぜ来ないのかね」
「連れがとどめているようです」
「ほう。善法寺君かね」
 昆奈門の眼が期待に細くなる。
「いえ、違うようです」
 答える陣内の声は至って事務的である。なんだ、というように昆奈門の眼が普段通りに戻る。
「して、いかがしましょうか」
「わが陣のあたりをあまり忍術学園の忍たまにうろちょろされても迷惑だ。アカトキ陣の方に追っ払ってしまえ」
「いいのですか?」
「構わん。どうせ善法寺君は来てくれていないのだろう」
 -まったく属人的なんだから。
 心の中でため息をついた陣内は、一呼吸置くと改まった声で部下に指示する。
「組頭の指示だ。あそこに潜んでいる忍たまをアカトキ陣のほうに追っ払え。時間がないから早くするのだ。火縄を使っても構わん」
「は」

 


 -やばい! タソガレドキの忍軍がこっち来るぞ!
 -んだと!?
 今にも飛び出しそうな文次郎の肩を押しとどめていた留三郎が、背後に迫る剣呑な気配にはっと振り返る。そこには、まっすぐこちらに向かってくる陣内たちの姿があった。数人は火縄を持っている。それが単なるこけおどしではない証拠に、火縄からは火薬の臭いが漂っている。文次郎もようやく我に返ったようである。
 -逃げるぞ!
 -あ、ああ。
 2人が動き始めたとき、すでに火縄の銃口はその後ろ姿を捉えていた。次の瞬間、銃口が火を吹いた。
 -文次郎!!!
 一瞬、動きの遅れた文次郎の身体がぐらりと前に傾くと、どさりと倒れ込んだ。
 -畜生!
 とっさに身を隠した岩の傍らを、何発もの銃弾が風を切っていく。留三郎は身動きが取れずにやり過ごすしかなかった。
「撃ち方やめ」
 陣内が声を上げると、ようやく銃声が止んだ。
「どうしましょうか」
 火縄を構えたままの部下がちらと陣内を見上げる。
「…」
 陣内は黙ったまましばらく様子をうかがった。倒れた文次郎の姿は下草に埋もれて、陣内たちからは認めることができない。だが、その抑えきれない苦しげな息遣いを、陣内の耳は捉えていた。
「逃げたようだな。これだけ脅かしておけば、当分戻ってくることもないだろう。我々も戻るぞ」
「「はっ」」
 逃げた2人のうち1人は、急所は外したものの確実に弾が命中している。それ以上の深追いは不要と陣内は判断した。
 -無事に学園に逃げ帰って、善法寺君に治療してもらうことだな。

 


 -行ったようだな。
 陣内たちが完全に姿を消したのを確認すると、留三郎は岩陰から飛び出して文次郎に駆け寄る。
「おい、文次郎! 文次郎! しっかりしろ!」
 ぐったりとした身体を抱き起して必死で呼びかける。
「どこをやられた! おい、文次郎! 答えろっ!」
 とろんとした眼で、意識を失いそうになっている文次郎の身体を揺すりながら、留三郎はなおも叫ぶ。その声に、文次郎の眼がわずかに見開かれた。
「…あし…」
「足!? 足だな? よし。今見てやるからな!」
 下半身に目を移すと、左足の袴に大きな染みが広がっていた。
 -だが、ここで手当てをしている余裕はない。
 いつまたタソガレドキ忍者が戻ってくるか分からない。あるいは今の銃声でアカトキ軍が動き出すかもしれなかった。とにかく安全な場所に避難しなければならない。傷の場所を確かめるのをあきらめた留三郎は、裂いた手拭いで袴の上から血のにじんでいる辺りをしっかりと縛る。痛むのだろう。歯を食いしばっていた文次郎が「ぐ…」と小さく声を漏らした。
「待ってろ、いま安全な場所まで連れてってやるからな」
 声をかけた留三郎は、文次郎を背負うと、一目散に駆け出した。

 


 -ここまでくれば、大丈夫だ。
 裏裏山に逃げ込んだ留三郎は、ようやく足を止める。ふいに、背中が急に重く感じた。
「下ろすぞ。いいな」
 声をかけた留三郎は、そろそろとここまで背負ってきた重い身体を下ろすと、大きくため息をついて座り込んだ。
「傷の具合はどうだ?」
 声をかけるが、文次郎は半ば意識を失っているようである。半開きになった口から、重い息が漏れるばかりである。
 -しょうがねえな。
 左足に眼を移す。包帯替わりに巻いた手拭いにも血がにじんでいる。まだ出血は完全には止まっていないらしい。
 -参ったな、どうするか…。
 伊作ならどうするだろう、と留三郎は考える。忍として最低限の医術や薬草の知識は学んでいたが、銃創の手当ての方法については学んでいなかった。いつも救急箱を持ち歩いている伊作なら、このような場合、たちどころに効果がある膏薬を貼って、他に傷を負っている場所がないか調べるだろう。だが、自分にはそんな薬も知識もない。
 -くそ! 俺は何の役にも立たないのか…! 
 思わず歯ぎしりしたとき、ふと思いついた。
 -そうだ! この近くに、傷によく効く温泉があるとしんべヱたちが言っていたな…そこに行けば!
 少なくとも、ここで何もできない自分の無力な手の前に放置するよりは効果があるだろう。もとより腕力には自信がある。だから、文次郎の身体を軽く揺すって呼びかける。
「おい、文次郎。これから傷に効く湯に連れてってやるからな。俺の身体にしっかりつかまってるんだぞ」
 うう…と文次郎の唇から声が漏れた。
「よし。じゃ、持ち上げるからな」
 ぐっと丹田に力を込めて気合を入れると、文次郎の身体を背負い上げて、足を踏み出す。
 -くそ、もっとしっかりつかまりやがれってんだ…。
 気を失っているせいか、自分の身体の前にまわしている文次郎の腕の力がまったく入っていない。気が付くと後ろにずれ落ちそうになるので、何度も背負いなおさなければならなかった。
 -ちくしょう! これが、俺の六年越しのライバルだった男なのかよ…!
 学園に入学早々相互にライバル認定して、事あるごとに戦ってきたのが文次郎だった。どれだけ鍛錬して強くなっても、相手も同じように強くなっているので、いつまで経っても勝つこともできなければ負けることもなかった。つまるところ、互角にしてよきライバルだった。
 -それなのに…。
 いまは自分の背にぐったりと頭をもたれ、その腕は自分の肩からだらりと力なく下がっている。
 -てめえ、まさか俺と預けたままになっている勝負を忘れて、このまま逝っちまいはしねえだろうな…?
 ふと不安に駆られる。
「おい、文次郎? しっかりつかまってろよ…じゃないと、ここに置いてくぞ…そんなことして会計委員の後輩たちに恨まれるのは嫌だからな」
 会計委員、という言葉に、文次郎の身体がちいさく反応した。
「そうだぞ。会計委員会の後輩たちがお前を待ってるんだからな…お前がいなかったら、新学期の予算会議はどうするんだ?」
 だらりと垂れさがった腕がわずかに動いて、指先が何かを掴もうとしているように動く。
 -そうだ。お前はこんなくらいで逝っちまうようなヤツじゃない…。
 文次郎の反応に意を強くした留三郎は、荒い息を隠すように穏やかに声をかける。
「田村だけであの予算会議を乗り切れるはずがないよな。ま、そっちのほうが俺らにとっては都合がいいけどな…よし、この際、アヒルさんボートの大規模修繕と、ボロボロの縄梯子の新規購入を要求してやろうか。こんないい機会、滅多にないからな」
 宙をさまよっていた指が、留三郎の制服を掴んだ。徐々にその指に力がこもってくる。
 -いいぞ。その調子だ。
「伊作には、包帯用の木綿を要求させよう。いくら包帯が足りないからって、俺の褌を勝手に包帯にされちゃかなわんからな。もっとも、伊作はいろいろな薬種のほうが優先だって言うだろうな。お前は知らないだろうが、アイツ、よく俺に言うんだぜ。学園の薬草園で育てている薬草は種類も量も少なすぎて、治療に役立たないってな。俺にはよく分からんが、明や南蛮の薬種をためしたくてうずうずしてるようだ。予算会議の相手が田村なら、いくら不運な保健委員会でも、それなりに要求を通すかもな」
 予算会議のことを言うほどに、文次郎の身体に力がよみがえってくる。わずかな反応ではあっても、それは確実な生への意欲と執着だった。
 -あれは…?
 ふいに、硫黄のにおいが鼻腔をくすぐった。
 -よし、もうすぐだ!
 ゴールは近い。新たな力が湧いてきて、留三郎は文次郎を背負いなおすと、朗らかに声をかける。
「もうすぐ、傷によく効く湯に着くからな。お前の傷もすぐに治るさ…このまま元気になって学園に戻るとは、お前も悪運の強いヤツだよな!」

 


 -…。
 白い霧が立ち込めたような混濁した意識のなかで、遠くから誰かが声をかけているような気がした。その気配はとても近いのに、声はとても遠くから聞こえるのだった。何を言っているかも聞き取れなかったが、自分を気遣うように、何度もその声は響いてきた。
 -ここは…?
 硫黄のにおいがする。なぜこんな場所にいるのか、今、自分がどういう状況にあるのか、まったく分からなかった。
 -そうだ、タソガレドキの忍軍に撃たれて…。
 徐々に記憶が蘇ってきた。逃げようとした瞬間、背後から火縄の音がした。次の瞬間、左足に激痛がはしって、それから先の記憶がなかった。
 -留三郎…?
 ともかくも、自分はまだ生きているらしかった。とすれば、それは一緒に行動していた留三郎が助け出してくれたからなのだろう。留三郎は、どこにいるのだ…?
 眼の前を覆っていた白い霧がいつの間にか消えていた。ゆっくりと眼をあける。ひどく狭く薄暗いところに自分は寝かされていた。
 -ここは、どこなんだ…。
 力が入らない腕をむりやり動かして、闇雲に周囲を探る。と、指先が柔らかいものに触れた。それは布のように、押しても何の反応も示さなかった。 
「お、文次郎。気が付いたか」
 急に眼の前がまぶしくなって、思わず眼を覆う。
「すまんすまん」
 また視界が薄暗くなる。
「…ここは?」
 かすれ声で文次郎が訊く。
「裏裏山にある温泉だ。傷によく効く湯らしい。あとで入れてやるからな」
 安心させるように小さく笑いかけると、留三郎の姿が消えた。
 -やれやれ、気が付いたようだな。
 胡坐をかいて木に寄りかかった留三郎は、また忍器の手入れを始めていた。その背後には、木立に縄を張ってつくった陣幕がある。意識を取り戻した文次郎と話すために、陣幕に上半身だけ差し入れていた留三郎は、ふたたび外にいた。温泉といっても、宿も小屋掛けがあるわけでもない場所だったので、陣幕を張るしかなかったのだ。
 -まあ、意識が戻ってよかった…。

 


 -そうか、やはり留三郎に助けられたか。
 薄暗がりの中で、文次郎は横たわったまま、身を起こせば頭がつかえそうな低い陣幕の天井を見ていた。
 -傷によく効くと言っていたな…それなら、少しでも早く入って…。
 少しでも早く治したい。だから、文次郎はよろよろと身を起こすと、陣幕の外に這い出る。
「お、おい、文次郎…どうしたんだよ」
 身体を引きずるように陣幕から現れた文次郎に、幹に寄りかかっていた留三郎が慌てて声をかける。
「湯に…入りたい…手伝って、くれ…」
 切れ切れに言葉を継ぐ文次郎に、留三郎は一瞬、判断に迷った。
 -まだ傷の具合が良くないかも知れない状態で、湯に入れてしまっていいのだろうか…。
 だが、すぐに結論は出た。
 -何を考えてるんだ、俺は。この湯が傷に効くからここまで連れてきたのに、今更なにを迷うことがあるってんだ!
 だから留三郎は小さくうなずくと立ち上がった。
「よし。俺が手伝ってやる。早く湯につかって傷を治さないとな」
 手早く着物を脱ぐと、文次郎の脱衣を手伝う。まだ左足をついて立つことができない文次郎の左肩を支えながら、ゆっくりと湯に足を踏み入れる。
「すべるからな。気をつけろ」
「ああ」
 肩を組んだまま、ゆっくりと湯に身体を沈める。
「どうだ? 気持ちいいだろ?」
「あぁ…」
「傷にしみるか?」
「少し…だけだ。たいしたことはない」
「そうか」
 そんなはずがないことは、文次郎の痛みをこらえて眉を寄せている表情を見れば、分かりすぎるほど分かることだった。包帯を解いて袴を脱がせたときにちらと見たところでは、弾はかすっただけのようだった。
「…」
 しばし、2人は黙って湯につかっていた。風が通りすぎて梢を鳴らし、枯れ葉がばらばらと舞い散った。
「…こうやっていると、戦の世だなんてウソみたいだな」
 ぽつりと留三郎が呟いた。
「…」
 文次郎は押し黙ったままである。
「なんとか言えよ」
「…戦の世じゃなくてなんなんだよ。俺を見れば分かるだろ」
「まあな」
「それに、戦がなければ、俺たちは必要とされない」
「…そうだな」
 思いつめたように言いつのる文次郎の口調に、留三郎は戸惑う。
「忍たまにならなかったら、俺たち会うこともなかったんだろうな」
 頭の後ろで腕を組んで、留三郎は空を見上げた。話を変えるつもりもなかったが、これ以上文次郎の自傷的な台詞にも付き合いたくなかった。
「それはそれで、せいせいするだろうな」
 文次郎も淡々と応える。
「…だが、つまらん六年間だったろうな」
「まったく、お前とは腐れ縁だよな」
 留三郎が湯の中から縄を持ち上げた。
「…挙句の果てに、こんな縄でつながれるハメになるとはな」
「風呂の中までしなきゃいけねえのか?」
「ここまできて退学だなんて、俺はごめんだからな」
「しょうがねえな」

 


 少し湯にのぼせてきたのだろうか。文次郎は軽いうめき声をあげながら腰を張り出した石の上に乗せた。上半身をいくつもの滴が伝う。
「大丈夫か」
 湯の中から、気遣わしげに留三郎が声をかける。
「ああ、だいぶ楽になった」
「そうか」
 留三郎は、背後の石に背をもたれて、頭の後ろで手を組んだ。
「なあ、文次郎」
 そのまま空を見上げる。
「なんだ」
「お前の傷が治ったら、この勝負、つけようぜ」
「当然だ」
「ただし、学園長の昼寝の邪魔にならないところで、な」
「おう」
 高いところを、大きな鳥がゆっくりと旋回している。
 -なあ、文次郎。
 口にしなかった呼びかけを、留三郎は心の中で続ける。
 -本当の勝負は、卒業してからだからな。その時に俺たちが何を背負ってるかは分からないが、勝負の時は、ただの、一人の、裸の男として最後の決着をつけるんだからな…それまで死ぬんじゃねえぞ…! 
 

 <FIN>

 

 

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