暁鐘(2)

 

「で、大丈夫なのかよ」
 気遣っているようにも呆れているようにも見える表情で義丸が訊く。
「なに、大丈夫さ。この海水スプレーがあれば」
 やや青ざめた顔で鬼蜘蛛丸が応える。
「ならいいけどさ」
 歩きながら義丸が頭の後ろで腕を組む。「陸酔いのお前が陸上作戦なんて無謀すぎやしねえか?」
「まずはドクタケの動きを探る必要がある」
 いささか思いつめた表情で鬼蜘蛛丸が応える。
「分かってるけどさ」
 気がかりそうに義丸が顔を向ける。「ムリするなよ。お前の出番はこの後なんだからよ」
 ドクタケが陣を構えている浦の入り口に着いた。
「この先だな」
 さすがに緊張してきたらしい義丸がごくりと唾を飲み込む。
「ああ」
 鬼蜘蛛丸も海水スプレーを吹きかけながら言う。
「じゃ、俺は東の入り江から回り込んで探る。鬼蜘蛛丸はまっすぐ西側から探ってくれ」
「わかった」
 二人の打ち合わせはごく手短に終わった。素早く姿を消した義丸に続いて鬼蜘蛛丸もドクタケの陣地に向かう。と、その足が止まった。
 -あれは…!
「「「しほーろっぽーはっぽー、しゅーりけん!」
 現れたのはこの場でもっともふさわしくない三人だった。上機嫌に合唱しながら大八車を引いている。
「おい、お前ら忍術学園の忍たまだな!」
 果たして数人のドクタケ忍者が飛び出してくる。
「ひえっ、ドクタケ忍者!」
「なんでこんなところに!?」
 動転した声を上げた乱太郎きり丸しんべヱが互いにしがみついて座り込む。
「なんだもこんだもない、お前らこそなぜここに来やがった」
 一歩踏み出した雨鬼が問う。
「な、なんでって…ぼくたち、兵庫水軍に…」
 しんべヱが震え声で答える。食堂のおばちゃんに言われて魚を分けてもらいに来た、と続けようとしたとき、
「なに、兵庫水軍だと?」
 雨鬼の眉間に皺が刻まれる。「なおさら通すわけにはいかないな」
「な、なんでぇ~」
 声を上げる乱太郎だったが、その間にも雨鬼たちがぐるりと取り囲む。
「よし、捕まえろ」
 その声に包囲網が動き始めたとき、鬼蜘蛛丸は動いた。手にしていた海水スプレーを雨鬼の後頭部に投げつけるや駆け出して三人の身体を抱え上げて走り出す。
「お、おい、追え!」
 動転した声に三人の身体を下ろした鬼蜘蛛丸が素早くささやく。「早く逃げてください」
「お、鬼蜘蛛丸さん…」
「早く!」
 自分たちをかばってドクタケ忍者たちに対峙する鬼蜘蛛丸だったが、武器といえば拾い上げた枝くらいしかない。
「ど、どうしよう…」
 戸惑ったような乱太郎の声にきり丸が応える。「どーもこーもねえだろ。ここは加勢あるのみだぜ!」
「そ、そうだね! とりあえず石をなげて」
「よし、石をなげて…」
 手近な石つぶてを手にした乱太郎、きり丸と、傍らの大石を持ち上げるしんべヱだった。
「せーの!」
 乱太郎の声とともに三人が石を放る。
「いて! いて…ぐわっ!」
 背後からまさかの攻撃を浴びた鬼蜘蛛丸が、さいごに大石を後頭部にぶつけられてその場に倒れ込む。
「うわっ、やべ!」
「鬼蜘蛛丸さん!」
 お約束通りの結果に駆け寄ろうとした乱太郎たちだったが、すかさず動き出したドクタケ忍者に逃げ出さざるを得なかった。

 

 

「う、うう…」
 茫洋としていた意識が徐々に戻る。ゆっくりと開いた眼にうつったのは殺風景な板張りの天井だった。次いで、腕に食い込む縄の感覚をおぼえた。そして、内腑から突き上げるようなおなじみの吐き気に襲われた。
「うっぷ…」
 だが、後ろ手に縛りあげられては口を押えることもできない。うっかり口を開いてはすべて戻してしまいそうで必死に唇を閉じながら鬼蜘蛛丸は床の上で身をよじらせた。
「ほう、気がついたようだな」
 上の方から響いた声に視線を向ける。床几に座っているのは八方斎だった。
 -そうか。俺はドクタケに捕まったのか…。
 ようやく自分の立場を認識した。だが、今にも吐き散らしてしまいそうな方に意識が向いていて、捕らわれていることのについてさほど深刻に受け止めていないのも事実だった。
「えっと…コイツ、なんか吐いちゃいそうなんですけど…」
 青ざめた顔でもだえる鬼蜘蛛丸に、控えているドクタケ忍者たちも異常を察したようである。だが、八方斎はにべもない。
「知るか。それより、コヤツ、兵庫水軍の者だな」
 左袖の合印に眼をやる。「とっとと何の目的でわがドクタケの陣に潜り込んだのか吐かせるのだ」
「え! いや、冗談じゃないですよ!」
 八方斎の台詞にドクタケ忍者たちがざわめきだす。
「ええい、うるさいわい! なにごとというのだ!」
「だって、コイツが吐いたの掃除するのなんてイヤですってば」
「どーしてもってなら、八方斎さまお願いします」
「ええい! どうしてわしがコイツの吐いたの掃除せねばならんのだ!」
 話が妙な方向に向くと、方向転換できないのが八方斎である。鬼蜘蛛丸に向き直って怒鳴る。
「おい! おまえ、その吐きそうなのをなんとかできんのかっ!」
「うっぷ…これ、は、陸酔い、だから…」
 なるべく口を開かないようにくぐもった声で鬼蜘蛛丸がうめく。
「なに、陸酔いとな」
 動転した八方斎が声を上げる。「では、コイツを恐竜さんボートに乗せるのだ、早くしろ!」 

 

 

 -ドクタケ忍者って、やっぱわけわかんねえな…。
 物陰に隠れて一部始終を見ていた義丸だった。
 -これだけ広い浦から人払いして何やってるかと思ったら、恐竜さんボート作りって…それとも、これは何かのカムフラージュなのか?
 だが、探ってみた限り、他の用途は見当たらなかった。あるいはこの浦での恐竜さんボート作りが敵忍者の注意を引く囮なのかもしれなかったが、義丸にはそれ以上探る手段はなかったしそのつもりもなかった。やるべきことが先にあるのだ。
 -まってろ、鬼蜘蛛丸。

 

 

 

「というわけで、ドクタケが絡んでいることを報告するよう第三共栄丸さんに仰せつかってきました」
 半助の部屋でかしこまって報告する文次郎と留三郎だった。
「そうか」
 頷く半助だったが内心穏やかではない。
 -忍たまなど寄越すなということか。
 これまでもなにかと厄介ごとを持ち込む兵庫水軍だったが、学園の食堂で供される魚の件では世話になっていたので、それなりに対応していた。最上級生とはいえ忍たまだけを派遣したのはまずかったようである。
「それで、学園としての指示をとのことですが」
 文次郎が口を開く。
「ドクタケが動いている、というのは分かった。だが、なぜドクタケが動いているのか、あのドクタケがどんな手で浦の人々を追い払ったのか、それは掴めたのか?」
「それは…」
 義丸が事情通という遊女から聞き出した情報でしかない。とにかく一報を、ということで学園に寄越されたのだ。
「いい機会だから言っておく。情報を伝えることが任務であるならば、それを正確に、より早く伝えるというのが忍者の第一の責務だ。だが、その情報がどういう意味を持つのか、その背景はなにかを自分なりに考えるということも大事なことなんだ。ただ言われたことを伝えるだけでは伝令の足軽と変わらない。そのことはよく考えておくことだ」
「「はい」」
 穏やかながらきっぱりと言う半助に、居住まいをただす二人だった。
「で、兵庫水軍への返事だが」
 少し考えた半助が続ける。「ドクタケの背後関係を洗うためにお前たちを寄越すと伝えてくれないか」
 まだ学園長も伝蔵も戻っていない。そして他の教師たちも多忙にしていた。結局のところ、結論は最初から変わりようはなかった。
「…はい」
 また一緒に行くのかよ、と思いながら顔を見合わせる二人だった。

 

 

「異常ないか」
「な~し」
 夜更けの見回りの雨鬼に、半ば眠っている雪鬼が応える。捕えた鬼蜘蛛丸を監禁した恐竜さんボートの前では気のないやり取りが交わされていた。
「じゃ、頼むぞ」
「へ~い」
 雨鬼は立ち去り、見張りの雪鬼はすでに眠りこけている。
 -よし、チャンスだ。
 物陰で様子を見ていた義丸がそっと近寄ると、恐竜さんボートから伸びている綱をほどいてそっと沖へ押し出す。そのまま音もたてずに海に入って、立ち泳ぎをしながらボートを押していく。
 -おや?
 ボートが動き出したことに真っ先に気付いた鬼蜘蛛丸だった。後ろ手に縛られながらも船首へといざり出ると海面を覗き込む。
「おう、無事だったか」
 思った通り、そこにいたのは、海面から顔を出した義丸だった。
「悪かったな」
「いいってことよ」
 ボートのへりに身を乗り上げた義丸が懐から小刀を取り出して鬼蜘蛛丸の縛めを断ち切る。
「ちょっと待っててくれ。これ戻してくるからよ」
 鬼蜘蛛丸が海に入ると、義丸が恐竜さんボートを岸へと押し戻していく。ボートがその場にあれば、ドクタケ忍者が鬼蜘蛛丸の脱出に気付くのはそれだけ遅くなるはずである。

 

 

「で、これからどうする?」
 岸に泳ぎ着いた二人がほっとしたように顔を見合わせる。
「そうだな…」
 鬼蜘蛛丸が言いかけたとき、遠くで鐘の音が聞こえた。
「暁九つ(午前零時)だな」
 ぽつりと義丸が言う。「てことは、やるならそろそろ急がないとな」
「なら、とりあえず連中の恐竜さんボートを沈めるか?」
 連中が浦を占領したのはそれが目的なんだし、と付け加える。
「ああ。だが、ただ沈めたんじゃ芸がないよな」
「ならこんなのはどうだ?」
 顎に手を当てて思案する義丸に、鬼蜘蛛丸がいたずらっぽく眼を光らせる。「船底に穴をあけて、そこに栓を詰めておく」
「へえ、面白いじゃねえか」
 すぐに義丸もその意図を察する。「船を動かそうとしたときに一斉に沈み始めたら、連中、びっくりすんだろうな」
 静止状態であれば機能を果たす栓も、船に動きが出れば持ちこたえないだろう。ドクタケが作戦行動で恐竜さんボートを漕ぎ出したとき、栓は抜け飛んで一斉に浸水し始めるのだ。その光景を想像しただけで身体が火照るような興奮をおぼえた。
「じゃ、行こうか」
「おう」
 いたずらを仕掛ける悪童のようにニヤリと頷きかわすと、二人は恐竜さんボートが係留されている地点へと足を忍ばせる。 

 


「そういえば義丸さんと鬼蜘蛛丸さん、どこ行っちゃったんでしょう」
「俺も探してたんだ。ったくアイツら、どこ行きやがった?」
 重と言葉を交わしていた疾風ががしがしと頭を掻く。そこへ、「たいへんで~すっ!」と息を切らして駆け込んできたのは乱太郎、きり丸、しんべヱである。
「おう、どうした。そんなに慌てて」
 振り返った疾風が訊く。
「たいへんなんです! 鬼蜘蛛丸さんが、わたしたちを守ろうとしてドクタケにつかまっちゃいました!」
「なに! 鬼蜘蛛丸がドクタケに!?」
 顔色を変えた疾風が重に向かって怒鳴る。「早くお頭に報告だ!」
「はい!」

 

 

「なるほどな」
 難しい顔をして腕を組んでいた第三共栄丸が頷いた。
「どういう、ことでしょうか…」
 おずおずと重が訊ねる。
「まあ、そう心配することもないだろう」
 いつの間にか第三共栄丸の表情が和らいでいた。
「でも、ドクタケに捕まっちゃったんですよ?」
 東南風が唸る。「すぐ助けないと…!」
「鬼蜘蛛丸と義丸がいなくなった。あの二人が同時に別々にいなくなるなんてことがあったか?」
 第三共栄丸がベテラン組のほうに顔を向ける。ああ、と疾風や蜉蝣がしたり顔で頷く。
「どういうことですか?」
 網問も疾風たちに顔を向ける。
「あの二人はな」
 疾風が説明する。「同い年のせいか、前からよくつるんだり張り合ったりしてたんだ。よく二人でどっか消えてたよなあ、そういえば」
「そういうこった」
 第三共栄丸が大きく頷く。「ったく、あの二人が組むと急に俺の言うことを聞かなくなるのは困ったもんだがな。義丸がいれば必ず何とかする。何とかならなければ必ず戻ってきて俺たちに加勢を求める。だから大丈夫だ」
「でも…これが…」
 不安そうに言いながら乱太郎が懐から海水スプレーを取り出す。とっさに拾ってきたのだ。「これがないと、鬼蜘蛛丸さん、陸酔いになっちゃいますよ?」
「鬼蜘蛛丸のことをいちばんよく分かってるのは義丸だ」
 確信的に第三共栄丸が言い切る。「それより由良四郎たちはどうした。ずいぶん手こずってるようだな」
 気がかりそうに付け加えたとき、「お頭!」と言いながら由良四郎たちが戻ってきた。
「おう。どうした」
「だいぶ様子が分かってきました」
 由良四郎が口を開く。「どうやらいろいろ事情が重なっているようです」
「事情だと?」
 第三共栄丸が眉を上げる。「どういうことだ」
「もともとはヤケアトツムタケがなにかの作戦のために噂を流してあの浦から漁師さんたちを追い払ったようです。その後にドクタケが妖怪の噂を流してヤケアトツムタケを追い払ったということのようです」
「なるほどな。で、ドクタケは何をしようとしてたんだ」
「それは…」
 由良四郎が口ごもる。「そっちの報告は入ってないんですか?」
「ああ、まあな」
 曖昧に第三共栄丸が応える。「ちょっと事情があってな」
「事情?」
「鬼蜘蛛丸さんがドクタケに捕まったらしいです」
 東南風が説明する。「まあ、義兄ィが一緒のようなんで大丈夫とは思いますが」
「義丸が一緒か」
 一瞬表情を強張らせた由良四郎だったが、すぐに安心したように言う。「ったくアイツら、相変わらずだな」
「だが、次の作戦もある。アイツらにも早く戻ってきてもらわないとな」
 蜉蝣が腕を組む。
「ところで、あの…」
 おずおずと手を上げたのは隅に控えていた乱太郎である。
「おう」
 腕を組んだまま閉じかけた眼を開いた蜉蝣が顔を向ける。正直なところ、その場にいたことを忘れていた。
「わたしたち、お魚をいただきにきたんですが…」
「そ、そうか」
 そういえばこの三人が来るときの用件はたいていそうだったと思い出しながら蜉蝣は声を上げる。
「おうい、忍術学園用の魚、持ってきてやれ」
「へい」
 数人の若い衆が立ち上がる。

 

 

 -おい、誰か来るぞ。
 すでに夜が明けてきていた。恐竜さんボートの底に工作を終えた二人が、浦の背後の林を歩いていた。気配に気づいた義丸が傍らの鬼蜘蛛丸の脇をつつく。
 -だな。
 ちいさく頷くと、二人はすばやく下草の陰に隠れる。全身びしょ濡れで疲れもひどかったが、そこは海の男である。行動は素早い。
「ったくどういうことだよ」
 ぶつくさ言っているのは先頭に立つ男である。
 -あれはヤケアトツムタケ忍者だな。
 顔を見合わせる二人だった。だが、なぜドクタケが占拠している浦にヤケアトツムタケ忍者が近づこうとしているのだろうか。それも隠れるそぶりも見せず。
「だから言っただろ、怪しいって」
 後ろに続く男が口を尖らせる。
「だけど、トモカズキやカゲワニを見たって言ってたぜ?」
 別の男が言う。
「それが怪しいって言うんだよ」
 先頭の男は納得していないようである。「妖怪が出たってウワサが立った時に、ドクタケがチョロチョロしてたという報告もあったそうじゃないか」
「んなこと言われたってよ…」
 不満そうな声が応える。「まさかドクタケが仕掛けたなんて誰が思うかよ」
 -てことは、そもそもはヤケアトツムタケが浦を占領しようとしてたってことか?
 -で、それをドクタケが横取りしたってことか…。
 義丸と鬼蜘蛛丸が顔を見合わせる。
「とにかくドクタケの魂胆は分かった。妖怪騒ぎも連中の起こしたことだ。であれば、連中を浦から追い出して我々の本来の目的に使うまでだ」
 黙っていたリーダーらしい男がまとめる。「とにかく急いで本隊に報告だ」
「「はっ」」

 

 

「真相が分かったな」
 ヤケアトツムタケ忍者が姿を消した後、下藪からはい出した鬼蜘蛛丸が腕を組む。
「ああ。最初に漁村の人たちを追っ払ったのはヤケアトツムタケってわけだ」
 義丸が口をゆがめる。
「そのあとで、ドクタケがヤケアトツムタケを追い払った。妙な妖怪話でな」
 確認するように鬼蜘蛛丸が言う。
「よ~くわかったぜ、鬼よ」
 義丸が口をゆがめたまま向き直る。「つまり、お仕置きをする相手がもう一つあるってことだろ?」
「まあそういうわけだが」
 ためらうように鬼蜘蛛丸は口ごもる。「だが、そろそろお頭に報告しないとまずいかな」
「なあ、鬼」
 今やあからさまににやけた口調で義丸が肩に腕を回す。「俺たち、水夫の頃からよくこうやってつるんでたよな」
「いちいちお頭に報告なんぞしなかったといいたいんだろうが」
 言わんとすることは分かったというように鬼蜘蛛丸は小さく頭を振る。「俺たちはもう若い連中を指導する方の立場だぞ?」
「それがどうした?」
 挑戦的に義丸はニヤリとする。「それで俺たちのやることが何か変わるとでも言う気か?」
「わかったよ」
 あきらめた鬼蜘蛛丸が肩をすくめる。「で、どうするつもりだ?」
「当然、ヤケアトツムタケはドクタケを追い出そうとするだろう。追い出す前につぶすか、追い出した後につぶすかは、まあそのときのお楽しみってことさ」
 この上もない爽やかさで言い切る義丸に、もはや鬼蜘蛛丸も何も言うことができない。

 

 

 

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