救出作戦(2)


「ここなら大丈夫だろう」
 農民が出作りのとき寝泊りに使う小屋に潜り込んだ2人は、ようやく一息つくことができた。
「ありがとうございます…でも、利吉さんが、なぜ」
「五年生の仲間たちに頼まれて、一緒に来たのさ」
「では、三郎たちも?」
「ああ…彼らももうすぐここに来るはずだ」
「では、まだドクタケ城に? 大丈夫なのでしょうか」
「彼らなら大丈夫だ。それより、傷は痛むかい」
「…いえ」
 兵助の言葉を裏切って、痛みがぶり返してきた。
「傷を見せて」
「はい」
 兵助が袴を下ろしている間に、利吉は外に明かりが漏れないよう気にしながら打竹の火を藁くずに移した。
「そこだな」
 幸い、出血は止まっていた。化膿もしていないのを見届けると利吉は火を吹き消し、手拭で傷のあった場所をきつく縛った。
「く…」
 痛みに、視界に赤い星が散ったように感じられた。思わず声が漏れる。
「君は五年生なんだろ。しっかりするんだ」
「はい…すいません」
「あやまることはないさ。誰だってドジることはある。今回は弾がかすっただけで運が良かった。中で弾が止まっていたりすると危険だからな…どうしてか分かるか?」
「体内にとどまった弾丸は、早めに摘出しないと鉛の毒が身体に回るからです」
「そういうことだ」
「利吉さん、先生みたいですね」
 ようやく、兵助の声に明るさが戻ってきた。
「そりゃ教師の息子だからな…はは」
 兵助も、声を押し殺してくっくっと笑っている。

 


「それにしても、いったいどうしてこんなことになったんだい」
 詳しい事情を聞くことなくやってきた利吉は、落ち着いたら聞こうと思っていたことを口にした。
「はい。私たちは、夜間演習に来ていたのですが、たまたまドクタケも同じ場所で夜間演習をやっていたようなのです。運悪く勘付かれてしまいまして、撃たれてしまいました」
「そうか。災難だったな」
「だめですよね…はは」
 兵助は力なく笑った。
「五年生にもなってこの有様では、みんなに笑われるし、先生方もあきれていらっしゃるでしょうね…こんなことでは、ダメ忍たまと言われても文句は言えません」
「失敗も経験のうちだ…なぜ失敗したのかを分析する必要はあるが、負い目にしてはいけない。わかったな」
「…はい」 
「ほら、元気を出すんだ」
 俯いている背中を、利吉はぽんと叩く。
「元気な顔で、学園に戻るんだ。そんな顔では、おばちゃんの豆腐料理がまずくなるぞ」
「そう…ですね」
「そうだ。君も豆腐料理が好きだそうだが、私も父も、おばちゃんの豆腐料理が大好きだ…だから、皆で元気に学園に戻って、おばちゃんの豆腐料理を食べよう…な」
「はい」

 


「このとおりだ。生徒を解放してほしい」
「しつこいぞ。これ以上言うと、お前も捕えて一緒に牢に放り込むぞ。それがいやならさっさと帰れ帰れ」
 八方斎が追い払う仕草をする。
「いや、そこをなんとか」
 木下に扮した三郎がなおも平伏する。
「コイツも捕えましょうか」
 控えていた風鬼が口を開いたとき、外がにわかに騒がしくなった。
「ん?」
 八方斎が声のほうに振り向いたとき、部屋の襖が開いて、ドクタケ忍者が飛び込んできた。
「たいへんです!」
「なにごとだ」
「捕えていた人質が、脱走しました」
「なんだと!」
 思わず叫んだ八方斎が、歯軋りをしながら向き直る。
「きさま…知っていて、ここでわれらを足止めしていたのだな…」
「いまごろ分かったんですか」
 顔を上げた木下は、顔はそのままだったが、声は三郎に戻っている。にやりとして、八方斎を見据える。
「忍術学園を、甘く見てもらっては困りますね」
 その手には、いつの間にか煙玉が握られている。
「そういうこと」
 声の主は、たったいま、急を告げにきたドクタケ忍者…八左ヱ門である。その手にも、煙玉がある。
「と、捕えろ! お子さま忍者の仲間だぞ!」
「は!」
 風鬼たちが動き出そうとしたとき、二人の手から煙玉が放たれ、部屋は煙で充満した。
「こっちだ」
 天井裏から顔を覗かせた雷蔵が声をかける。
「よし」
 三郎と八左ヱ門が素早く天井に移ると、雷蔵は煙を噴き出す筒を投げ込んで天井板を戻す。
「うひゃぁ」
「目が…」
「鼻が…」
 部屋から悲鳴のような声が上がる。

 


「雷蔵、何を投げ込んだんだ」
 天井伝いに走りながら、八左ヱ門が訊く。
「もっぱんさ」
 確保しておいた脱出口から塀を伝い、堀が狭くなっているところで、対岸の大木に鉤縄をかけて堀を越える。
「ひょっとして、保健委員会特製の?」
 利吉と待ち合わせてある出作り小屋に向けて走りながら、三郎が訊く。
「そう。特別えげつないやつ」
 雷蔵の声は、笑いをこらえて細かく震えている。
「よく手に入ったな」
「たいしたことはないさ…伊作先輩に頼んだんだ」
「この作戦のこと、話したのか?」
「ああ。兵助を連れて帰るまで、誰にも言わないでおく、と約束して下さった」
 -伊作先輩なら、大丈夫だな。
 三郎と八左ヱ門は、同時に考えた。穏やかな人柄と、何事によらず下級生たちの相談によく耳を傾け、聞いた話は誰にも絶対に漏らさないことで、伊作は五年生の彼らからも慕われ、信頼されていた。「気をつけて行ってこいよ」と微笑みながらもっぱんを手渡す姿が、目に浮かぶようである。

 


(誰か来ますね)
 足音が近づいてくる。兵助が身を硬くする。
(そうだな)
 利吉が耳を地面につける。ずりずりずり、と足を引きずるように三歩進むと立ち止まる。それが三回繰り返された。
「大丈夫だ。味方だ」
 利吉は、安心させるように兵助の肩を軽く叩くと、小屋の扉を開けた。
「利吉さん」
「兵助は、大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だ。少しケガをしているが」
 外で、利吉と低く話を交わしているのは、三郎と雷蔵の声である。
 -三郎たちも無事だったのか、よかった。
 自分も出ようと立ち上がろうとした兵助だったが、まだ傷が痛んだ。利吉がきつく傷を縛ったので、左足ぜんたいが痺れて、すぐに膝が崩れる。身体が横倒しになりそうになって手をついたところに、八左ヱ門が飛び込んできた。
「おい、火縄にやられたって、大丈夫なのか」
 八左ヱ門が星明りのもとに見たのは、兵助が土間にうずくまって、倒れそうな身体をようやく支えている姿だった。
「なにやってんだ、兵助。じっとしてなきゃだめだろ」
 駆け寄って、身体を支える。
「ああ…ごめんな」
「ったく、心配かけさせやがって。だが、俺たちが来たからにはもう大丈夫だから、安心しろよな」
「そういうことだ、兵助」
 小屋の戸口には、三郎と雷蔵の姿があった。
「利吉さん…ここにももうすぐ追っ手が来るでしょう。逃げなければなりません」
 兵助に笑顔を向けた雷蔵が、不意に真剣な表情になって利吉のほうを振り返る。
「だが、兵助は歩けるようには見えんが」
 兵助の身体を援け起こしながら、八左ヱ門が言う。
「いや…いつまでもここにいては危険だ。誰か、肩を貸してくれるか?」
 兵助の声は、いつもの冷静さが戻っている。
「大丈夫なのか」
 気がかりそうに、雷蔵が訊く。
「八左ヱ門の言うとおり、私はまだ一人では歩けない。だけど、肩を借りれば何とかなると思う。それより、夜が明ける前にここを離れたほうがいいと思う」
「そうだな。追っ手もいつ来てもおかしくないからな」
 


「久々知兵助! 五年生にもなってドクタケの手に落ちるとは、なんたるざまだ!」
 学園に戻った兵助を待っていたのは、額にいつもより更に多くの青筋を立てている木下の怒声だった。
「申し訳ありません!」 
 思わずその場に平伏する。
「罰として裏々々山まで往復マラソンだ! わしについて来い!」
 意外な台詞に、思わず兵助が顔を上げる。
「何をぐずぐず座っておる! 行くぞ!」
「は、はい!」
 -そういうことか。
 はらはらしながら見守っていた五年生や教師たちが目配せする。木下は、裏々々山まで兵助を走らせるつもりはない。学園から少し離れたところまで走った後は、休ませるつもりなのだろう。あるいは、生徒を危険な目に遭わせた自分を罰するために、ひとりで裏々々山まで走るつもりなのかもしれない。
「木下先生、久々知君の怪我はまだ完治していないのですよ。無茶は困ります」
 校医の新野が当惑したように声を上げる。
「なあに、このくらいで怪我が悪化するようでは忍は勤まりません…こら、そこのろ組の3人! なにをニヤニヤ見ておる! 不謹慎だ! 一緒に来い!」
「な、なんでですかぁ」
 八左ヱ門が抗議したが、もとより聞く耳を持つ木下ではない。
「つべこべ言うな! さっさと来い! 三郎! 変装して逃げようとしてもムダだ!」
「バレましたか…」
 そっと八方斎に変装して立ち去ろうとした三郎が、頭をかきながら雷蔵の顔に戻ってマラソンの列に加わった。
「よし出発! …1・2! 1・2!」
「いっちに…いっちに」
「声が小さい! もっと腹から声を出さんか!」
「はい! おいっちに! おいっちに!」
 木下に率いられた五年生たちの姿が、校門から遠ざかる。

 

 

<FIN>

 

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