命のリレー(4)

「薬売りが夜道を歩くとは面妖な」
 不意に背後から声がかかった。薬売りの男-に扮した新野が立ち止まる。
「急患だ、と言ったらどうしますかな」
「言葉遊びは終わりだ」
 新野の前に長身の忍が立ちはだかった。数人が背後の木立に隠れていることも、気配で知れた。
「私の部下を8人も、よくもやってくれたな」
「私一人に8人とは、ずいぶんと大げさな。私は丸腰なのですよ」
「うるさい! どんな毒薬を使ったのだ。言え!」
「ちょっとした神経毒です。霞扇に使うよりやや強い程度ですから、命に別状はないでしょう」 
「まあいい。いろいろやってくれたが、ここまでだ。われわれに同行してもらう」
「お断りすると言ったはずですが」
「返事はどうあれ、来ていただくと言ったはずだ」
 次の瞬間、鳩尾に拳が打ち込まれ、新野の身体は大きな袋に詰められて連れ去られたのだった。

 


 気がつくと、障子が開け放たれた座敷に、日が差し込んでいた。
 -夜が明けていたらしい。
 新野はゆっくりと起き上がった。そして、自分が縛られていないことに気がついた。
「お目覚めですな」
 聞き覚えのある声に、新野は声の主のほうを振り返る。畳の敷き詰められた座敷で、一間ほど離れたところに座っていた男は、自分のよく知っている人物だった。
「…やはり、あなたでしたか」
 そこにいたのは、七瀬仁斎のもとで同門だった葛西斉之進だった。
「ははは…よく憶えておいでで」
「記憶力には、まだ自信がありますからな」
「やはり、と言うからには、気付かれておりましたか」
「はい」
 葛西もまた学力優秀で、仁斎の門下で新野と常にトップを争った関係だった。だが、それ以上に、医療や科学に対する考え方の違いが、2人の対立を決定づけていた。
「それにしても、私一人を相手に、ずいぶんと大仰なことをなさったものですな」
「忍術学園にいる先生をお連れするのですから、それなりの態勢が必要というものです。実際、ちょっとしたからくりもあったとか…それにしても」
 葛西は言葉を切った。
「新野先生は、忍を自称されているそうですが、武器も持たなければ自殺用の毒薬も持っていなかったそうですな。忍というものは、それほどまでに無防備なものなのですかな」
「私は、学園の先生や生徒たちのような訓練を積むことができなかった。残念ながら」
「どのようなおつもりであれ、新野先生、われわれは、知識階層なのです。正直、先生が忍などというものに、何のシンパシーをお感じになられるのやら、さっぱり分かりませんな。忍など、所詮、使い捨てなのですよ」
 -使い捨て、だと…。
 新野は唇を噛む。学園の生徒たちや教師たちの顔が、脳裏を過ぎった。ほんの一瞬、怒りの火花で視界が朱に染まった。だが、すぐに持ち前の冷静さを取り戻して、答える。
「…そのような認識があることは、事実の一面として否定はしません。しかし、今のお言葉は撤回願いたい」
「まあよろしいです。用件を先にお話しましょう。このたび新野先生にお越しいただいたのは、お知恵を拝借したかったからです」
 新野の言葉にまったく取り合わず、葛西はあっさりと用件に入る。
「お断りします」
 新野も即座に返す。
「まあ、内容について聞きもせずにお返事を急がれるな」
「おおかた、新たな毒薬か火薬の開発でしょう」
「お分かりなら話は早い」
「だからお断りすると申し上げている」
「朝から論争は止しましょう。先生はまだ顔も洗っていない。すぐに洗顔と朝食の用意をさせます。それから」
 葛西は言葉を切ると、腕を広げた。
「この座敷は、先生のお部屋としてお使いいただきます。使用人が控えていますから、何かありましたら何なりとお申し付けください。城の書庫にある本も、お好きなだけお持ちしますよ。ぜひ、ごゆっくりとお寛ぎいただきたい」
 もちろん、座敷を囲む襖の向こうには、複数の忍の気配があった。
 -まあ、牢に押し込められるわけでもなし、まだましな待遇というべきなのでしょうな。
 廊下に面した障子は開け放たれ、坪庭が少しだけ目に安らぎを感じさせた。
「では、後ほどまた参ります。それまでごゆっくり」
 葛西が座敷を後にする。入れ替わりに、使用人が洗顔の用意をして現れた。洗顔の介助に続き、ひげや髷の手入れをする。少しでも快適に過ごせるよう心配りはしているようだが、その代わり、この座敷を一歩たりとも離れることは許されないだろう。
 -とにかく慣れなければ。長丁場になりそうですからな。 

 


 朝食後、ふたたび葛西が座敷を訪れた。
「さて、先ほどのお話ですが」
「お断りすると、申し上げたはずです」
「そうですかな。新野先生にとっても、知的好奇心をいたくくすぐるような研究が待っているのですぞ」
「知りませんな」
 腕組をして、新野はそっぽを向く。
「硫火水(硫酸)はご存知ですな」
 葛西の言葉に、新野の表情が動いた。
「われらは、硫火水に新たな物質を加え、更に強力な液体の組成を試みている。これが成功すれば、硫火水よりはるかに強力な強酸性の液体ができるはずだ。金属をも一瞬で蒸発させるような…これを応用すれば、最強の火器ができあがる」
 -海酸気(塩化水素ガス)を加工するつもりか…。
 硫火水については、南蛮人が持ち込んだものを見たことがある。強酸性の液体で、それだけでも人体に多大な危害を与えうるものだった。硫火水に塩を加えたときに発生するガスが海酸気であり、きわめて強い毒性をもつ毒といわれている。
 あるいは、硫火水に硝石を加えて強水(硝酸)を合成する方法もあった。強水もまた、強力な火器の原料になりうる危険な物質である。 
 葛西たちの実験は、まだ海酸気や強水の合成には至っていないようだった。だからこそ、新野を強引にでも呼び寄せたのだろう。明や南蛮からの最新の知識が、堺の福冨屋を経由して直接流れ込む、忍術学園の新野しか知りえない知見に目をつけたのだ。
「どうでしょう。ご興味が湧いてきましたかな」
「私には、関係のないことですな」
「ほう、関係ないと?」
「そうです。私の興味は、人の命を救う術です。人を殺め、傷つけることではない」
「硫火水には無限の可能性がある。火器として使う以外にも。そうは思われませんか」
「葛西先生、あなたとあなたのスポンサーのご関心は、ずいぶんと絞られているように思いますが」
「それは誤解というもの」
「いや。あなたの思考経路が変わってなければ、あなたは確実に硫火水を活用した殺人兵器の開発を念頭に置いておられる。違いますか」
 ふっ、と葛西はため息をつく。
「昔から変わりませんな…あなたが仁斎先生のお気に入りだった理由がよく分かる」
「葛西先生こそ、お変わりがない…科学をもてあそばれるその態度は」
「古来より、科学の進歩には、多くの危険物の発見が伴ってきた。その活用も、科学の進歩の一面であることは、否定なさりませんな?」
「あなたはその結果について、眼を向けようとなさらなかった…いったいどれだけの命が散っていったとお考えなのですか」
「仮にわれらがそうした研究に背を向けたとしても、いまは唐や南蛮からいくらでもその手のものが流入してくるのです。一歩間違えれば、元が攻めてきたときのように、わが国がそうした兵器の攻撃対象になりかねない。南蛮の船がわが国まで到達しうるということは、そういうリスクもあるということに、なぜ新野先生ほどのお方がお気づきにならないのか、不思議でなりませんな」
「あなたが国防の観点からそう仰っているとは考えにくい。それなら、なぜ南蛮からの輸入に頼らざるを得ない硫火水を使用するのですか。硫火水をベースにしたものである限り、その生産の根本を、われらは南蛮に押さえられることになるのですよ」

 


「さすがは、仁斎門下の一番弟子だ。ああ言えばこう言う」
「いくらでも言います。そのような危険な研究を止めるためなら」
「なぜ、そこまでこの研究を忌避される」
「仮にその液体が完成すれば、忍術学園を実験の舞台にするおつもりなのでしょう…それが理由です」
「なぜ、そのようにお考えになるのです?」
「ツキヨタケ城にとって、忍術学園は政治的に邪魔な存在のはずだ。また、最新兵器の実験を成功させることにより、周辺の城へのアピールにもなる。ちがいますか」
「いつから新野先生は軍師になられた」
 肩をすくめながら、葛西は嘆息する。
「われらに政治は関わりのないもののはず。われらは科学の進歩のみを目指していけばいい」
「この研究に関して言えば、政治が科学を必要としている。だから、反対なのです」
「私は、純粋に科学の観点から言っているのです」
「それなら葛西先生の仰る科学的観点から申しましょう。最新兵器の効果を検証するには、多くのサンプルを必要とするはずだ。あなたが必要とするサンプルとあなたのスポンサーが許可する被験者のグループが重なるとすれば?」
「さよう。忍術学園も候補ではあるでしょうな」
 特に悪びれる様子もなく、葛西はあっさりと同意する。
「科学者としてのあなたは、学園はサンプルとしての属性が偏りすぎているとお考えのはずだ。それでも、スポンサーの指示とあれば、仕方がないと」
「仰るとおり、忍術学園は、サンプルとしては年少者かつ男性にサンプルが偏っている傾向がある。しかし、それも戦場での実用を考えれば、誤差の範囲内と考えますが」
「あなたが学園の生徒たちを見ても、なお誤差の範囲内と言い切れるのか、私は疑問に思っているのですよ」
「科学的観点からのお話を伺えるのではなかったのですかな」
 葛西が、鼻で哂う。
「…ずいぶんと、情緒的なお話をされているように聞こえますが。非科学的なお話は、先生には似合いませんよ」
 -非科学的、だと…。
 保健委員の生徒たちの顔が脳裏を過ぎる。底抜けに明るい乱太郎、控えめな笑顔の伏木蔵、まっすぐな視線で見上げる左近、照れたような笑いを浮かべる数馬、限りない優しさを湛えた委員長の伊作。それに、怪我や病気のとき、全面的な信頼を寄せて医務室を訪れる生徒たちや教師たち、彼らを使い捨てと切り捨て、あまつさえ人体実験の対象にしようとしている、そのようなことを許すわけにはいかない。
「学園には多くの子どもたちがいるのです。そのことを認識されているのかを、私は問いたい」
「だからどうだというのです」
 葛西は皮肉な笑みを浮かべる。
「…ずいぶん、危険な『子どもたち』であることだ」
 -忍術を学ぶ子どもなど、危険な存在そのものではないのか。うっかり気を許せば、寝首を掻き切るような『子どもたち』ではないのか。
 子どもたち、という扇情的な言葉に惑わされてはいけない。言葉というものは、いつも嘘をはらむものである。科学的事実のほかに、真実など存在しないのだ。

 


 -学園がいかに周囲の城に引けを取らない武力を持っているとしても、そこには多くの子どもたちがいるのだ。そこに強力な火器なり毒物を使用されたら…。
 その結果を想像しただけで吐き気を催して、新野は思わず口を押さえる。
 それでも学園を狙うのは、城主の意向なのだろう。強力な武力を持ちながら、どの城とも同盟を結ばない学園は、合従連衡を旨とする政治に生きる城主たちにとっては厄介な存在だった。実際、忍術学園は、水軍や村に対する攻撃に介入したことも多かった。自分たちの「常識」どおりに動かない存在ほど不気味なものはないのだ。
「これがうまくいけば、天下統一は間違いない。それどころか、唐、天竺までも手中に収めることができるでしょう。われわれは、その絶大な功労者として、永遠にその名をとどめることになるのですよ」
 葛西の認識は、どこまでも新野と交わることはない。
「私には、わが国における科学の最大の汚点として、永遠に名をとどめるように思えて仕方がない」

 


「人には、みな、つながっている人がいる。それを分かっていてのことですか」
 もはやこれ以上の言葉は無駄と分かっていても、なお新野は続けずに入られなかった。
「新野先生。あなたは、それだから困る。科学の進歩には、犠牲が伴うものなのですよ。仁斎先生も、その先達の先生方も、新たな医術を開発するためには、患者の命の積み重ねが必要だったのです」
 葛西の返事が、あえて答えを避けているのか、素で応えていないのか、新野には判断できかねた。
「それだからこそ、仁斎先生は、命は重いとわれわれに教えられたのではないのですか」
「修辞的な言葉を真に受けられる。もはや、学生(がくしょう)のような青いことは仰るな」
「それが仁斎先生の真のご意志とは思われないのですか!」
「仮にそうであれ、現世のこの戦乱の世に、そのような言葉が通じると本気で信じて仰ったとは思えない」
「このような世だからこそ、仰ったのだとは思われないのか」
「もうやめましょう。無意味なことだ」
 肩をすくめて葛西は言う。
「そうですかな」
「どういうことです」
「まだ、止められるということです」
「なぜ、そうお考えになる」
「私をこうして連れてきているのが何よりの証拠。研究が隘路にはまっているということではないのですか」

 

 

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