似たもの(3)

 

 夜半に近い時刻だった。ふとした物音に、半助は目覚めた。たとえ眠っていても、なにかの兆候に反応して目覚める、それは忍としての性であり、そうでなければ生き延びられない最低条件だった。
 -なんの音だ。
 部屋の中には月明かりが差し込んで、思いのほか明るかった。そこに不審な人影は見当たらず、気配も感じない。

 


「う…う…ううん」
 気がつくと、傍らのきり丸がうなされていた。眉を寄せ、寝汗もひどい。なにか悪い夢でもみているのだろう。
 半助は起き上がると、そのままきり丸を見守ることにした。このままでは、おそらく一度は目覚めるだろう。そのときに、話を聞いてやらなければと思った。
 忍たま長屋できり丸がうなされているという話は聞いたことがなかった。もしそんなことがあれば、同室の乱太郎が何も言ってこないわけがなかった。ということは、なにかうなされるような事態が出来しているのだろう。
「う…う…」
 何度か激しく首を振ったところで、きり丸の目が開いた。ぐっしょりと寝汗をかいている。
「どうした、きり丸」
 そっと声をかける。
「あ…土井先生」
 きり丸の表情は、まだ放心状態に近い。
「ずいぶんうなされていたぞ…どうしたんだ」
「うん…いや、別に」
「別にということはないだろう」
「いやその…昔のことを思い出したんで…」
 学園での穏やかな生活を始めた頃から、きり丸の夢の中には、昔の思い出が現れるようになった。それは、顔も定かに覚えていない両親と手をつないだ温もりの記憶や、村が戦で焼かれたとき、家族を目の前で失った断末魔の記憶だった。
「きり丸、ここから早く離れるんだ…」
 あれは父親の声だったのだろうか…そして、誰かに手を引かれて炎上する村から引き離された、そんな記憶だった。あのとき、自分は涙すら出ない、呆然自失な状態だった。
「俺の住んでた村が、戦で焼かれて…家族も家も焼かれて…誰かに手を引かれて村から連れ出されて…」
 布団に手をついたまま、途切れ途切れにきり丸は語った。
「つらかったんだな」
 静かに半助は声をかけた。
「俺、あのとき、もしかしたら家族の誰か一人でも助けられたかもしれない、そうでなければ、あの時一緒に死んでいればよかった、そう思って…」
「わかった…もういい…言わなくていい」
 気がつくと、きり丸を懐にしっかりと抱きしめていた。思えば自分もそうだった。館を焼き討ちされた夜、炎の中で果てた両親からむりやり拉し去られた自分が許せなかった。父の命とはいえ、自分だけが生き延びてしまった、その後ろめたさに比べれば、忍のどんな修行も苦しいとは思わなかった。そして、忍となった自分がどれだけの業を重ねたか、枚挙にいとまがない。それも、今から考えれば、あの後ろめたさを忘れるためだったのかもしれない。
 あの夜から、自分は心を捨てた。忍刀の茎も腐るほど人を斬り、血を浴びてきた。断末魔の表情も見飽きるほど目にしてきた。自分が工作して戦になった地では、村は荒廃し、田畑は見る影もなくなっていた。その結果がどうなるかも容易に予想がついた。それでも、心を捨てていた自分には他人事でしかなかった。いずれ自分もろくな死に目には遭わない、そんなやけっぱちな気持ちと、無関心で、自分を辛うじて支えてきた。
 -だけど、今は違う。
 今は、生徒たちを守りたい。自分の重ねてきた業を考えれば、そんなことを望む資格がないことは分かっていた。それでも、もし許されるなら、生徒たちを守りたい。たとえ命に代えても、守り抜きたい。まして目の前で苦しんでいる生徒がいたなら、その苦しみを一身に負ってでも代わってやりたい。そう思うのだ。

だから、無意識のうちにきり丸を抱きしめていたのだ。
「せんせ…い」
 きり丸が苦しげに首を振ろうとした。つい、力をこめてしまっていた。
「すまない」
 腕の力をゆるめると、きり丸の顔が胸元から離れた。自分の着物の襟が濡れている。
 -きり丸…泣いていたのか?
 きり丸は顔を伏せている。
「泣いても、いいんだぞ」
 だが、きり丸は袖で目元を拭うと、ついと顔を背けた。
「別に、そんなこと、ないです」
「どうしてだ」
「俺、そーいうキャラじゃないし」
 急速に、きり丸の声が醒めていく。学園に入る前は、いつもこうしていた。物陰で一人で泣いた後は、すぐに自分を立て直さなければならなかった。自分を取り巻く全てと対峙するために。
「なぜ、そう意地を張る」
「張ってなんかいませんて」
「あのな…きり丸」
「いいんです」
「なにがいいんだ」
「俺のこと、分かったように言わないでください」
「分かったように?」
「俺のことなんか、ホントはどーでもいいと思ってるんでしょ? 学園長先生か山田先生に言われて、しょーがないから預かってるだけなんでしょ?」
「それは違うぞ」
「いいですよ、ムリしなくても」
 きり丸は顔を背けたままである。
「ジャマだったら、いつでも出て行きますから」
「そんなことは、させるか」
「一人は、慣れてるし」
「聞け、きり丸」
 半助は、きり丸の両頬を手で挟んで、自分のほうを向かせた。
「なんすか」
 顔を強引に半助に向き合わされても、きり丸はなお強情に視線を外し続けている。

 


「きり丸。一人に慣れてるなんて、もうそんなことを言ってはだめだ。お前は一人ではないんだからな」
「一人じゃなくて、何だって言うんスか」
「お前は一人じゃない。今までも、これからもだ」
「どういうことか、ぜっんぜん分からないんスけど」
「きり丸。お前は一人というが、そんなことはない。ご両親がいなかったら、お前はこの世に存在していなかったんだから」
「もうとっくに死んじゃったんですよ。だから一人だったんじゃないスか」
「今は違う。私がいる。は組がついている」
「あいつらと俺は違うんですよ…ぜんぜん」
「どういうことだ」
「言わなくたって分かるでしょ…休みになれば、みんな帰る家がある。俺にはない。それだけ」
「いや、ある」
「どーいうことスか」
「ここだ。この家が、きり丸の帰る家だ」
「だって、ここ土井先生の家じゃないですか」
「私が決めたのだ。ここが、きり丸の家だとな」
「…」

 


 きり丸が、逸らしていた視線をおずおずと半助に戻してきた。
「きり丸は、戦で家族を失ったのだったな」
 胡坐をかいている半助の大きなシルエットは、月明かりを背負っているので表情はよく分からない。だが、その穏やかな声から、いつもの優しい顔であることがうかがわれた。と同時に、もっと懐かしい、もっと身近だった存在の記憶が呼び覚まされるような、そんな気がした。
「ホントは…俺にだって親や兄弟がいたんだ…あの戦さえなければ、今も一緒に…」
「そうだな」
「みんな、父ちゃんや母ちゃんに会うんだって…でも、俺には…」
「そうだな」
「俺だけ、一人なんだ。いつも、ずっと…」
「…そうだな」
 半助の声が、曇ってきた。
「どうしてなんですか、先生。どうして俺だけ…」
 きり丸は拳を硬く握りしめていた。その小さな拳が細かくふるえている。

 


「きり丸。お前がいま生きているということは、お前のご両親のご意思なのだ。お前はつらく寂しい思いを抱えているかもしれないが、生きて生きて、生き抜くことがお前のご両親の願いなんだ…」
 低く穏やかに、半助は語りかける。
「だからお前は、生きなければならない。だが、お前がご家族を思い出して涙を流すことは、決して恥ずかしいことではないんだぞ。亡くなったご家族を思い出すことができるのは、お前だけなんだ。それでも、お前は前向きに元気に生きていかなければならない…分かるか」
 きり丸は、こくりとした。
「だから、もう死んでいればよかったなんて思ってはいけない…辛かったらいつでも私に言えばいい。これでも、お前より長く生きているんだぞ。いつでも頼りにすればいい」
 -そう、私のような思いは、もう二度としてはいけない。お前には、幸せになる義務があるんだ。
 涙がこぼれそうな眼で自分を見上げるきり丸を、半助は抱き寄せた。今度は、そっと。

 


 翌朝、朝食の準備をしている半助の背中を、きり丸はじっと見ていた。頭の後ろで手を組んで。
「どうした、きり丸」
「いや…俺のためにご飯作ってくれる人って、あんま見たことなかったから」
「食堂のおばちゃんだって、きり丸のために毎日食事の用意をしてくれるだろう」
「そうじゃなくって…俺だけのため、っていうか」
「そうか」
 -そういうことだったのか。
 きり丸に背を向けて野菜を刻みながら、半助は微笑んだ。きり丸が少し、自分に心を開いてくれたのがうれしかった。食事を作る自分を見つめる理由は、遠い母の記憶なのかもしれない。
 -まだ、甘えたい盛りの子供だからな。私でよければ、うんと甘えていいんだぞ。
 それがきり丸の支えになるのなら、母代わりにでも父代わりにでもなってやろう、この家にいる間は…半助は心からそう思った。

 

 

<FIN>

 

 

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