不運の伝承(2)

「どうだ、暗号は解読できたか」
 ドクササコ城の忍の控えの間では、乱太郎が持っていたテストの解読が行われていた。
 忍組頭の問いに、解読に当たっていた忍が首を横に振る。
「いいえ、どうしても解けません」
「なぜだ! 数字の組み合わせといえば暗号文というのがセオリーだろう。子どもに持たせるために、算数のテストを装うというのは、いかにも忍術学園のやりそうなことではないか」
 組頭がいらだたしげな声を上げる。
「私たちもそう考えました。しかし、考えうるあらゆる組み合わせを引用しても、どうしても意味のある文章にならないのです。いっそ回答と正答の差やその変化率も試してみましたが、だめです」
「あの8点という数字は、解読のヒントにならぬのか」
「それも考えました。8字ずらしや全ての数字に8を加減乗除してみるなど、あらゆる手段を試みました。それでも、だめでした」
「どういうことだ、それは…」
「…あるいは、偽書かもしれませぬ」
 それまで黙って控えていた小頭が言う。
「偽書だと?」
「はい。子どもに偽書を持たせてわざとわがドクササコ領内をうろうろさせて我らの注意を引く。その間に、本物の暗号文を持った者が入り込む。その可能性もあるかと」
「たしかにその可能性は否定できぬ…だが、我らとて、こうしている間に領内の警戒を怠っているわけではない。現に別の組が警戒に当たっている。別のものが入り込んだとしても、我らに見つからないわけがない」
「あるいは、様子見をしているかと」
「我らの出方を伺っているということか…」
 組頭が腕を組む。
「して、いかがしましょう」
「その紙が偽書であろうがなかろうが、あのお子さま忍者は誰かに手渡すために持っていたはずだ。その相手を聞き出さねばならぬ。相手は子どもとはいえ忍たまだ、多少手荒に扱っても構わんから、それを聞き出すのだ」

 


「ドクササコは、一年生の忍たまが持っていたテストを暗号文と思って、解読に当たっています」
 部下の報告を聞いた雑渡は、ため息をつく。
「まあ、当然の反応だが…それより、そんなものを持ったまま校外活動に出たり、毒草採取に行ったりするほうが信じられないな」
「はい」
 不意に、伊作と交わした会話を思い出す。
「あ、そうだ。一年生の忍たまの乱太郎は、武器をほとんど持っていないのです。それも心配で」
 仔細らしく眉を寄せた伊作が、ふと思い出したように言う。
「どういうことだ」
「一年生で、あまり忍器の扱い方を教わっていないせいなのかもしれませんが、ふだんからろくに忍器を持ち歩く習慣がついていないのです。たぶん、持ち歩いているとすれば、忍者としてはまったく意味がないもののはずです。二年生の左近は、もう少ししっかりしているのですが」
 いや、優秀な忍であり、教師である山田伝蔵と土井半助が、そんなことも教えていないことはありえなかった。ただ、本人に自覚が欠けているのだろう。
「それに、あの2人には毒草を担当させてしまったのも、心配な点です。あらぬ誤解を招いてしまいそうで…」
「そんな連中に、なぜ毒草を集めさせたのかね。そもそも、忍術学園が毒草を集めることにどんな意味があるのだ」
 雑渡がため息混じりにいう。低学年どうしで、しかも一人はほぼ丸腰で毒草採集など、その無防備さとのアンバランスが過ぎた。そもそも、毒草の取扱など、この善意丸出しの保健委員たちに務まるのだろうか。
「忍として、毒薬の扱いは必須知識ですから、いつも授業で使えるように在庫を確保しておかなければなりません。それに…」
「それに?」
「毒も、転じて薬になりますから」
 もちろん逆もまた然りですが、とにっこり笑う伊作に、雑渡ははじめて忍らしさを感じたのだった。

 


「まあ、それが、彼ららしいところなのかもしれないが」
 善意そのもののような伊作たちの笑顔を思い出しながら、雑渡は呟く。
 -あれほど忍に向かない連中もいない…だが、それゆえに放っておけない。
 思えば、戦場で敵味方の区別なく負傷者の治療に勤しんでいた伊作のおかげで、自分も救われたのだ。その伊作の態度が後輩たちにも伝わっていることは、見れば明らかだった。
 -そもそもあの連中には、忍は向いていない。少なくとも、彼には、それは分かっているようだ。だからこそ、私は、いつも彼らの味方でいてやろうと思ったのだ。
「それで、どうしましょうか」
 部下の声に、雑渡は我にかえる。
「暗号と思っているのなら、思わせておけ。彼らがドクササコの出城にいるのなら、今のうちに救出してしまった方が手間がかからないだろうな。城に移されてしまってからでは、警備も厚くなるからどうしてもややこしいことになる」
「は」
 いずれ、部下たちが救出作戦のプランを持ってくるだろう。優秀な連中だから、自分が修正を加えるまでもなくすぐに出動できるだろう。ドクササコにも手強い忍が幾人もいるが、いずれにしてもたいした相手ではない。それより、忍術学園の忍たまを救出するのにタソガレドキ忍者隊が動く名分をどう立てるかの方が、より難しい課題である。

 

 

「先輩、寒いんですか?」
 目を覚ました乱太郎が、そっと声をかける。自分に覆いかぶさるようにしていた左近の身体が、震えていたのだ。
「ああ…ちょっとな」
 実際、ドクササコの出城の牢は、石張りの床や壁から寒気がにじみ出てくるようで、ひどく寒かった。
「こんどは、先輩が寝てください。私が起きてますから」
「いいよ。乱太郎、もう少し寝ていろ」
「でも…」
「いいから。実は、僕も眠れないんだ」
 左近は小さく笑った。眠れないのは、寒いだけではなかった。明日、どうやってこの状況から抜け出すかを考えるだけで、気が張って眠るどころではなかったのだ。
「とりあえず、身体をくっつけてれば、少しはあったかいと思います」
「ああ、そうだな」
 後ろ手に縛られたままではあったが、2人はなんとか工夫して少しでも互いの身体をつけようとした。
「先輩、ひとつ聞いていいですか?」
 もそもそと動きながら、乱太郎は、ふと、いつも左近たち先輩に問うてみたいと思っていたことを聞いてみようと思った。
「なんだ?」
「先輩は、やっぱり保健委員になって不運だと思いますか?」
「なんだよ、やぶからぼうに」
「いえ…こういうときでないと、なかなか聞く機会もないかな、と思ったもんですから」
「そうか…確かにそうだな」
 左近は軽く頷いた。
「僕が一年生だった頃、伊作先輩に教えてもらったことがあるんだ…」
 牢番に聞きとがめられないように低い声で、左近は語り始める。
「僕は、保健委員会に入ることになって、これで不運な忍たま決定だって落ち込んでたんだ。でも伊作先輩は、『私は不運には違いないけど、自分に同情したことはただの一度もない』っておっしゃったんだ」
「どういう…ことですか?」
「先輩は、自分に同情した時点で、それは、自分を不幸だと思い込むことになる。でも、不運と不幸は違うんだっておっしゃたんだ」
「…違うもんなんですか?」
「ああ、ぜんぜん違うさ。不運は誰が見ても不運だけど、不幸って言うのは気の持ちようなんじゃないかな。僕は、伊作先輩のお話を聞いて、そう思ったんだ。だから、僕はちょっとばかり不運な目に遭っても、ツイてないなって思うけど、不幸だとは考えないようにしてる」
「ドクササコに捕まってもですか?」
「ああ。そもそも乱太郎と組んだ時点で不運なんだから、しょうがないだろ?」
「それ、どーゆー意味ですか?」
 乱太郎が口を尖らせる。
「ま、気にすんなって」

 


「さて、今日こそ、この暗号文について吐いてもらうぞ…この暗号文を誰に届けることになっている。言うのだ」
 翌朝、ドクササコ忍者の首領の前に引き据えられた乱太郎と左近は、顔を見合わせる。
「そんなこと、言えるはずがないだろう」
 左近が声を上げる。
「ふむ、元気のいい坊やだ…だが、子どもだからといって容赦はしないぞ。今のうちに言っておかないと、痛い目に遭うのはお前ではない…こいつだ」
 首領の指が、乱太郎を指す。
「えっ、わ、私?」
「そうだ。コイツを吊るすのだ」
 乱太郎の身体が、後ろ手に縛られたまま梁に吊るされる。
「いやだ~っ、やめて~っ、たすけて~っ」
 乱太郎が身をよじらせて叫び声を上げる。
「やめろっ、乱太郎には手を出すな!」
 左近が駆け寄ろうとしたが、すぐに控えていたドクササコ忍者の手で引き戻される。
「さあどうする、これでも黙っているつもりか」
 首領がにやりと唇をゆがめる。
「…わかったよ」
 顔を背けたまま、左近が呟く。
「先輩!」
「いい心がけだ…さて、相手は誰だ」
 首領の指が左近のあごをつまんで引き寄せる。
「名前は知らない」
 顔を振って首領の指から逃れると、左近は相手を睨む。
「なんだと」
「相手は、僕たちの顔を知っている。だから、僕たちが行かないと、相手は現れない。先生から聞いているのは、それだけだ」
「ほう?」
「だから、乱太郎と僕が待ち合わせの場所に行かないとだめだ。相手が誰か知りたかったら、僕たちを追跡すればいいだろ」
 そう言って、左近がにやりする。
(どうします? この忍たまの言うことを信用するのですか?)
(気をつけたほうがいいです。相手は忍たまです)
(しかし、このまま取調べを続けても、埒が明かないのでは…?)

 


(先輩、どうするんですか? このまま山の中をずっと歩くんですか?)
(ああ。あの出城に閉じ込められているより、助けられる可能性が高いだろ?)
(だからって、やたらと歩き回っていても…)
 山道を歩きながら、左近と乱太郎がそっと会話を交わす。周囲はドクササコ忍者に囲まれている。
(大丈夫だ。僕に、考えがある)
(考え?)
(タソガレドキの領地に向かうんだ。そうすれば…)
(雑渡さんたちが助けてくれるかも、ってことですね!)
(そういうこと。だから、乱太郎も適当に話を僕に合わせるんだぞ)
(はい!)
「おい」
 ドクササコ忍者が左近の背中を小突く。
「な、なんですか」
「どこまで歩かせるつもりだ」 
「もうすこしですよ…なあ、乱太郎」
「はい、もうここからそんなに遠くないはずですよね、先輩」
 乱太郎も話をあわせる。
(うまいもんだな、乱太郎)
(はい…一年は組は、実戦経験は無駄に多いですから)

 


「ドクササコがわが領地に向かっています」
 偵察に出ていた部下の報告に、雑渡は眉を寄せる。
「敵情偵察か? 最近、ドクササコが我らに手出しをするような動きはしていなかったはずだが」
 それより、ドクササコは他の城との戦に手をとられていて、タソガレドキに手を出せるような状態ではなかったはずである。
「いえ…忍たまを先頭に立てて歩いています」
「ふむ」
 部下の報告はやや意外だったが、雑渡には、おおよその見当はついた。
 -われわれを頼るつもりだな…それなら我々にも好都合だ。
 そこまで考えての行動かは分からないが、タソガレドキの領地に向けてドクササコ忍者隊が近づいているとすれば、雑渡たちとしても動く理由が立つ。境界警備の最中に、不審な動きをするドクササコと遭遇して追撃したときに、偶然、ドクササコの人質となっていた忍たまを救出したということにすればいい。
 だから雑渡はためらわずに立ち上がる。
「わかった。出動するぞ」
「はい」

 


 -まずい、タソガレドキの領地に近づいているぞ。
 先を歩かせている乱太郎たちを追尾しながらドクササコの首領が考えたとき、何かの気配を感じた。
「敵だぞ!」
 反射的に声を上げた瞬間、複数の忍が刃をぎらつかせながら目の前を過ぎる。
「うわ~っ」
 先を歩かせていた乱太郎と左近が、しがみつきながら尻餅をつく。
 -ということは、コイツらも予期していなかった連中が出てきたということか…。
 ドクササコの首領がふとそう考えたとき、目の前に現れたタソガレドキ忍者が忍刀を抜いて斬りかかってきた。
「!」
 素早く刀を抜いて応戦する。すでにあちこちで斬り合いが始まっている。忍刀や苦無がぶつかる鋭い音が交錯する。
「こんなところで会うとはね、忍術学園の保健委員の諸君」
 ふっと目の前に現れた雑渡の姿に、乱太郎と左近が明るい声を上げる。
「ごぶさたしてます! 粉もんさん!」
「昆奈門だ!」
 

 

「先輩!」
「善法寺先輩!」
 伊作の姿を認めると、乱太郎と左近は駆け寄った。
「乱太郎、左近…無事でよかった」
 自分の身体にまとわりついてくる2人の頭を撫でながら、伊作は思わずへたりこんでしまった。
「これでいいかね、伊作君」
 乱太郎たちの背後に雑渡が現れる。
「また…助けていただきましたね」
 膝を突いたまま、雑渡を見上げた伊作は、泣きそうな笑みを浮かべる。
「私はいつでも、君たちの味方だと言ったはずだ」
 乱太郎と左近をしっかりと抱き寄せながら、自分を見上げる伊作に眼をやる。
 -いい顔をしている。
 先輩のような、保護者のような、伊作の姿に、雑渡は素直に思う。そして、つくづく忍には向かない連中だ、とも。

 


「善法寺先輩」
 学園に向かって歩きながら、左近が気がかりそうに伊作を見上げた。
「なんだい」
「あの…今回の件、学園の先生方には、もう知られてしまっているのですか」
「ああ。もうご報告してある…学園長先生にも、ほかの先生方にも」
「それで、大丈夫なんでしょうか」
「なにがだい?」
「いや、その…こんなことになって」
 -そうか、左近は心配してくれてたのか。
 左近は、自分や顧問の新野が責任を問われることにならないか、案じているのだろう。
「今回のことは、私の責任だ。だからどのような処分でも受けると学園長先生には申し上げた」
 淡々と伊作は言う。
「それで…?」
「そこまでの覚悟があるのなら、どのような手を使ってでも2人を取り戻して来い、2人が戻ってくれば不問にすると、学園長先生は仰ってくださったよ」
「それなら、先輩が責任を問われることはないということですね」
「ああ。でも、お前たちには怖い思いをさせてしまったな。それは、私の責任だ。悪かったと思っている」
「でも、これで私たちも、また実戦経験を積みましたから。ね、左近先輩」
 乱太郎が、伊作と左近を交互に見上げながらにっこりする。
「ま、そういうことだな」
 伊作もにっこりしながら左近を見やる。
「そういう、ことなんでしょうか…」
 苦笑いしながら、左近が2人の笑顔を受ける。
「もちろんさ」
 明るく請けあいながら、伊作は右手を乱太郎の、左手を左近の肩に置く。冒険を経てまた少し自信とたくましさを増した後輩たちは、ちっとも不運なんかじゃないさ、と思いながら。

 

 

<FIN>

 

 

 

 

 

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