Sacrifice(2)

 

「ぐっ!」
 くぐもった声が聞こえた次の瞬間、首筋に突き付けられていた刃から急に力が抜けた。がしゃ、と音を立てて刀が取り落された。
「…?」
 おそるおそる眼を開けた伊作が見たのは、鮮血に染まって倒れる数人の雑兵だった。
「これは…!」
 慌てて駆け寄ろうとする肩を、背後から掴む手があった。
「無駄だ。奴らは死んでいる」
「誰だ!」
 叫んで振り返る。それは覆面姿の忍だった。
「あなたは…」
 伊作の眼が大きく見開かれる。
「…諸泉尊奈門さん」
「こんなところで何をしている」
 覆面を下ろした尊奈門は、鋭い眼で周囲を見渡しながら訊く。
「ケガ人の治療をしていました…残念ながら、錯乱がひどくて手がつけられませんでしたが」
 俯きながら自嘲的に笑う。
「私には、殺されかかっているようにしか見えなかったが」
 指摘する尊奈門の声は固い。
「そうですね」
 いろいろあって、結果的にはああなってしまった。尊奈門がどの場面から目撃していたかは分からないが。
「…死ぬのがこわくないのか」
 低い声で尊奈門が問う。いくら治療のためとはいえ、こんな場所を1人でうろついていれば、どんな危険に遭遇するか分かりそうなものだった。それに、敗残兵たちに刃を突き付けられていた時の微笑さえ浮かべた穏やかな表情はいったい何なのだ。自分がとっさに倒してなければ、今頃伊作の命はなかっただろう。
「こわくない、と言えばウソになります」
「ならばなぜ…!」
 尊奈門の声に苛立ちが混じる。まだ若造というにも及ばない忍たまのくせに、どうして善法寺伊作という男はこうも達観したような話しかたをするのだ…。
「僕だって、死ぬのはいやです。死ぬのはこわいし、生きていたい。そして…」
 -留三郎たちと過ごしたい…。
 先ほどまでの感慨がよみがえる。
「でも、それは患者も同じです。むしろ、死に近いところにいるからこそ、僕なんかよりずっとずっと生きたいという気持ちが強いはずです。僕もさっき、殺されかけたときに思いました。あれほど死にたくない、生きていたいと思ったことは、生まれて初めてです」
 感情の奔流が、却って伊作の口調を平板に押さえつける。
「…私には、さっぱりわからないよ」
 尊奈門が投げ出したように言う。
「君の医術は、きっとたくさんの人に必要とされている。君がこんなところでおめおめと殺されれば、君を必要としている人たちはどうすればいいんだ。そんな簡単なことが、どうして君には分からないのか」
「それは…」
 -ああ、同じことを留三郎にも言われたことがある…。
 そして、そのときも、自分は答えを見つけられなかった。そのときと同じように、地面に視線を落としたまま、その先の言葉を見つけかねて口ごもる。
「…行こう」
 尊奈門に肩を揺すられて、伊作はよろよろと立ちあがった。
「…君の先生や後輩が心配している。それに組頭も」
「保健委員の後輩ですか? いったい誰が?」
「川西左近君だ。安心しろ。高坂さんが一緒にいる…まあ、左近君に手当てされていたけどね」

 


「左近!」
「伊作先輩!」
 農家の土間で陣内左衛門の手当てを続けていた左近が弾かれたように振り返った。思わず腰が浮きかけるが、自分が何をしているのかに気付いて辛うじて思いとどまる。
「高坂さん、どうされたのですか、その傷は」
 自分をここまで導いてきた尊奈門のことなど意識から飛んだように、伊作が駆け寄る。
「鉄砲玉がかすったそうです。とりあえず消毒して、いま化膿止めの膏薬を貼ったところです」
 左近がてきぱきと報告する。
「ほかに傷は?」
「ありませんでした」
「わかった…よし、左近の処置は正しいよ。あとは包帯を巻いてあげて」
「はい!」
 陣内左衛門の腕を調べた伊作は、にっこりして包帯を手渡す。
「…ところで、どうしてここに?」
 包帯を巻く左近の手先を見守りながら伊作は訊く。
「それは…」
 左近が口ごもる。伊作を手伝いたいという思いからの行動だったが、当然ながら下級生が一人で戦場に潜り込むなど、許されることではなかった。
「…薬草採りをしていたら、道に迷ってしまったのです」
 言いながら目を伏せる。包帯を巻かれていた陣内左衛門がなにか言いたげに振り返る。
「…そうか」
 伊作は気付かれない程度にため息をついて続ける。
「それは災難だったね。怖い思いをしたろ?」
「いえ…高坂さんに助けていただいたし…」
 目を伏せたまま、左近はぽそりと呟く。
 -きっと、左近は僕を探しに行こうとしたんだ。もし高坂さんに会わなかったら…。
 自分の行動のせいで後輩を危険に巻き込むところだった。改めてそんな事実に気付かされて伊作は愕然とする。
「…」
 互いに分かっていながら本心をたくしこんだ会話を、陣内左衛門は黙って耳にしていた。

 


「これはこれは、忍術学園の校医の新野先生」
 巨大な影が眼の前に立ちはだかる気配に、新野は顔を上げた。
「おや、あなたは…」
 いつの間にか、眼の前に腕を組んで見下ろす隻眼の大男がいた。
「ごぶさたしておりますな。タソガレドキ城の雑渡昆奈門さん」
「私を見ても驚かないとは、さすがだね」
「ええ。存じ上げておりますからな」
 道で知り合いに出会いでもしたように、にこやかに新野は応える。
「…で、こんなところで何をしているのかね」
「この先で戦があったということですが、本当ですか」
 新野はあくまで世間話のような口調のままである。その意味するところを掴みかねて、昆奈門の視線に苛立ちが加わる。
 -自分の生徒が心配なら、もっと素直にそういうそぶりを見せればよいものを…。
 まして相手は忍としてのトレーニングを受けていない素人なのだ。
 -あるいは、別の意図があるということか?
 たしかに新野は忍ではないが、この鼻につく慇懃さは知識人特有だった。
 -だとすれば、少しばかり手強いかもな。
 相手の心を読み、支配することについては自信のある昆奈門だったが、新野のような物腰の柔らかい知識人タイプは苦手だった。その微笑は順忍のごとく、何を考えているかを決して漏らさないのだ。
 だから、少しばかり陽動してみることにした。
「その戦場に伊作君が入り込んででもいるのではと心配しているのかね」
「さすがですな」
 まったく動じずに新野は応える。
「ついでに左近君も近くにいるようだね」
「左近が!?」
 はじめて新野の口調に動揺が迸った。よろよろと立ちあがろうとする。
「ああ、なんということだ…彼はまだ二年生なのに…」
「安心したまえ。2人の身は我々が確保する」
 新野の前に腰を落とした昆奈門が、肩を軽くたたいた。と、傍らに寄った陣内が何やらささやいて素早く姿を消した。
「そういうわけで。新野先生は危険だからこれ以上進まない方がいい。あとは我々に任せてほしい。じゃ」
 言い捨てると、昆奈門もふっと姿をくらませた。
「え…? じゃ、とは…?」
 後には、惑乱してきょろきょろと見回す新野だけが残された。

 


「…私には、さっぱりわかりません…彼らがなぜそこまでするのか」
 タソガレドキ城に引き上げ、報告を済ませて忍者隊の控えの間に戻ってきた昆奈門に、尊奈門は苛立たしげに言う。
「彼ら?」
「伊作君と左近君です」
 忍具の手入れをしながら尊奈門は続ける。
「…伊作君は、あんな危険な場所に一人でケガ人の治療に来たと言う。治療しようとした雑兵に殴られても、その仲間に殺されかかっても」
「ほう、そんなことがあったのかね」
 文机の前に横座りになって文に眼を通しながら昆奈門が訊く。
「はい。それに、そんな目に遭っても、患者は生きたいと思っていたはずだと」
「そういえば、左近君に治療してもらってた果報者はどうした」
「は、ここに」
 揶揄する昆奈門に赤らめた顔をそむけながら陣内左衛門が答える。
「…あれはわざわざ治療してもらうまでもなかったのです。かすっただけですから。左近君に見つけられてしまったから仕方なく…」
「その割にはうれしそうだったな」
 帳面をつけていた陣内がぽそりと指摘する。陣内左衛門が真っ赤になって抗弁する。
「そんなことは…! からかわないでください、小頭」
「左近君はまだ11歳なんだそうですね」
 固い声のまま尊奈門は言う。
「…そんな歳で戦場に潜り込もうとするなど、忍たまとはいえどうかしている」
「そういえば、左近君は伊作君を手伝うつもりで来たと言ってたな」
 袖をまくった陣内左衛門が、左近がきっちりと巻きつけた包帯を掌でなぞる。そして、何のためにそんなところへ来たかを互いに知っていながら知らないふりをして展開された、先輩と後輩の間の空虚な会話を思い出していた。
「それだっておかしいですよ。忍たまであれば戦場がどれだけ危険か知っているはずだ。それなのに、そんなところでわざわざケガ人の治療だなどと…!」
「まあそうムキになるな、尊奈門」
 読み終わった文に添え書きをしたためながら昆奈門が言う。
「…とはいえ、なぜあそこまで治療に入れ込むのか、不思議とは前から思っていた」
 陣内の声は相変わらず無表情である。
「だが、治療に勤しんでいるときの彼らは、実にいい顔をしているのです」
 真剣な顔で包帯を巻いていた左近の横顔を思い出しながら、陣内左衛門は言わずにはいられない。
「ほかの保健委員の子たちもそうだ。皆、治療にのぞむときはとても真剣で、そして皆いい顔をしている。彼らに手を出すなど考えられない。だから、伊作君を殺そうとした連中を皆殺しにしたのだろう、尊奈門」
「それはそうですが…」
 尊奈門もしぶしぶ認めずにはいられない。
「いつものお前なら、伊作君が治療しようとした奴まで手に掛けることはなかっただろう。あれは伊作君を殴った意趣返しだろう?」
「だから、もういいですってば…」
 真っ赤になった尊奈門が顔を伏せる。ははは…と笑い声が上がる。
「…」
 次の文書を手に取りながら昆奈門は黙りこくって考える。これは思ったより重症だ、と。
 


「お待ちしていましたよ。どうぞお入りなさい」
 天井裏の気配を察した新野が声を上げる。
「では、お邪魔するよ」
 天井板の一枚が外れると、長身の忍がひらりと舞い降りた。
「薬は用意してあります。まずは皮膚の様子を診察するとしますかな」
 数日後、学園の医務室を訪れる昆奈門の姿があった。授業中なので保健委員たちの姿はない。
「痛んだり突っ張ったりするところは?」
「いや、特にない」
 忍び装束を脱いだ身体から包帯を巻き取りながら、新野は淡々と問診を始める。
「そうですか。見る限り、特に悪化しているところもないようですな」
 一通り皮膚の様子を診た新野は、薬を塗ると新しい包帯を巻き始めた。
「ウチの若いのが言ってたよ。あんな戦場にわざわざ飛び込んで治療するのも、まだ小さいのにそれを手伝おうとする後輩がいるのも信じられないってね」
 世間話のように口を開く昆奈門だったが、その視線は鋭く包帯を巻く新野を捉えている。
「ああ、諸泉さんですか」
 天井裏の動揺したような気配にも、鋭く自分を見据える視線にも気付かないように、泰然と新野は言う。
「新野先生。あんたは本当にとんでもない人だ。わがタソガレドキ忍軍の真の敵はあんただと言ってもいいくらいだよ」
 不意に、突き放したように昆奈門は吐き捨てる。
「ほう? 私が何かいたしましたかな?」
 挑戦的な台詞をあっさりと受け流す。
「ああ。被害甚大と言わざるを得ないだろうね…保健委員の忍たまたちは若い命を危険にさらしてまでも戦場に飛び込むし、その姿にウチの連中はすっかりメロメロだからね」
「それはそれは」
「保健委員の忍たま諸君がああなったのは、間違いなくあんたのせいだろうからね」
「あなたがどう解釈しようがあなたの自由だが、私は何もしていない。それでも、もし、彼らがあなたが言うようなことになっているのなら、私はそれを誇りに思いますよ」
 静かに新野は答える。
「忍は心に鬼が棲むという。そうでなければやっていけないものだ」
「医者の心には、鬼も腑分けする無機質が宿っているのですよ」
「…なるほどね。あんたの教え子が手強いわけがわかったよ」
 覆面の下で昆奈門が笑いを漏らす。
「ともあれ、あなたがたにはお礼を申し上げなければならないところでしょうな」
 穏やかな笑顔のまま新野は言う。
「…善法寺君を助けてくれてありがとう。あやうく、私は優秀な後継者を失うところでした」
 口調に滲む苦渋を、この隻眼のくせ者は感づいただろうか、と新野はふと考える。
「どういたしまして」
 他人事のように応える昆奈門である。
「たしかに彼はあんたの優秀な後継者なのだろう…だが、その代わりに彼は忍としての道を失うだろう。あんたのせいでね」
「おっしゃる通りなのでしょうな」
 たしかに昆奈門があけすけに指摘したように、伊作は医者の心と腕を得た代わりに、忍としての技量を喪っているのだろう。そうでなければ、首筋に刃を突き付けられるまで背後の気配に気づかないなどということはありえない。
 -それは、私が導いたことなのだ…。
「ま、忍の道を目指す者はどういう形であれ、必ず一度は壁に当たるものだ…そこで引き返すか、乗り越えるかの違いだけだね」
「あなたもそうだった、ということなのですかな」
 穏やかな笑顔と口調のまま、唐突に反撃に転じた新野だった。いささか難解な問いに昆奈門は軽く眉を顰める。
 -そんなことを訊いて何を探るというのか…つくづく食えない医者だ。
「壁を前にしてどう振る舞うか、それも含めて可能性だと思っている…忍たまだけがもつ可能性だとね」
 ぶっきらぼうに返す。
「なるほど、忍たまとは可能性ですか」
 何事もなかったような駘蕩とした返事に昆奈門の苛立ちが増す。だから、あえて軽く混ぜっ返す。
「日々忍たまたちに接していながら、何を今さら気付いたように」
「近くにいると、案外気付かないこともあるものですよ」
「それはそれは。ぜいたくな過失であることだ」
「そうかもしれませんな」

 


「それでは、失礼するとしようか」
「さようですか。それではこの薬をお持ちください」
「いつもすまないね」
「いえ。善法寺君と川西君を助けてくださったお礼です」
「礼には及ばんよ。彼らによろしく言っておいてくれたまえ。じゃ」
 言い捨てた昆奈門は、ひらりと飛び上がって天井裏に姿を消す。
 -忍でもないこんな食えない医者を校医に据えるとは、おそるべき組織であることだ…。
 考え込みながらタソガレドキ城へと急ぐ昆奈門に、尊奈門が声をかける。
「組頭、どうされたのですか? 難しい顔をされていますが…」
「いや…お前が土井半助にやっつけられた気持ちが、ようやく分かったような気がするよ」
「は!? どういうことですか?」
 半助の名前に露骨に嫌な顔をする尊奈門だった。
「ま、忍術学園には手強い連中がいるということだ。尊奈門も無駄に勝負を仕掛けていちいち負けるより、相手を効果的に叩く方法を研究することだな」
 いつの間にか尊奈門の話にすり替えている。
「な、なにを仰るのですか…」
 顔を真っ赤にした尊奈門が俯く。
 -組頭は、よほど新野先生が苦手らしい…。
 そうは言いながらもしっかり観察している尊奈門だった。

 


「ふぅ」
 昆奈門たちが立ち去った医務室で、新野は大きくため息をついた。
 -いつもながら、難しいお人だ…。
 包帯と覆面に覆われた口から発せられる言葉のひとつひとつが、刃となって向かってくるのだ。
 -私のせい、ね…。
 伏せた顔に苦笑を浮かべる。
 たしかに伊作をはじめとする保健委員たちが、身の危険を顧みずに治療に突き進むのは、自分の影響なのだろう。だが、それが昆奈門の部下たちにまで影響を及ぼしているとは。
 -それをわざわざ私に言うとは…。
 昆奈門の真意は新野にも測りかねる。だが、あるいはあまり心配させるな、ということなのかも知れないと考える。少なくともあまりに危険な単独行動や、低学年が戦場に潜り込むような行動はやめさせろ、ということなのかも知れない。
 -だが、すべては、私の欺瞞からはじまっているのだ。忍を目指している子たちに、忍に最も遠いものを教えているということは…。
 ぐっと奥歯を噛みしめる。そのとき、
「失礼します」
 声とともに小さな手が襖を押し開ける。
「雑渡さんがいらしてるってホントですか?」
 期待に眼を輝かせて入ってきたのは伏木蔵である。その後ろから乱太郎や左近が顔をのぞかせる。
「おや、伏木蔵…残念だったね。雑渡さんはほんの少し前にお帰りになったよ」
 薬を片づけながら新野が答える。
「えぇぇ、せっかく雑渡さんに会えるとおもったのに…」
 明らかに落胆したように伏木蔵が肩を落とす。
「しょうがないよ。雑渡さんはおいそがしいんだよ」
「そうだぞ。それに、またきっと会いに来てくださるさ」
 乱太郎と左近がなぐさめる。
「こんなところでどうしたんだい?」
 医務室の入り口に固まっている伏木蔵たちに、やってきた伊作が声をかける。書類を抱えた数馬が続く。
「これから保健委員会の会合ですかな」
「はあ、そうですが」
 新野の声に、乱太郎が答える。
「そうですか…会合の前に、少しだけ時間をもらえますか」
「はい。もちろん構いませんが」
 医務室に入ってきた伊作が軽く首をかしげる。
 -いい機会だ。この際、保健委員の皆に話しておいた方がいい。
 そう考えた新野は、自分の前に端座した伊作たちを見渡すと、おもむろに口を開く。
「私たち医療者としての戦場での身の処しかたについてだが…」

 

<FIN>

 

 

 

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