Flashback(2)

 

 ぱちぱちと枝のはぜる音がして、火の粉がぱっと弾ける。
 -ほんとに乱太郎の不運はハンパねえよな…。
 焚火に枝を放り込みながら、きり丸は思う。
 -ちっとは乾いたかな…。
 焚火の向こうには、二人分の制服が並べて干されている。揺らぐ炎が、並べられた制服の上にも揺らめく影を落とす。
 流れはごく浅かったから溺れることはなかったが、びしょぬれになった2人は、焚火で制服を乾かすことにして、それまでの間、襦袢姿で火にあたっていた。
 がくり、と乱太郎の頭が前に傾く。
 -眠ったのか。
 まだ湿気を含んだ襦袢と、ひんやりとした山の夜気が素肌を冷やしたが、乱太郎と接している腕の部分だけは温かい。膝を抱えたまま、ぴったりとくっついて火にあたっているうちに、乱太郎は眠りに落ちてしまったようである。

 -よく寝てるな。
 傍らの乱太郎を見やる。背を丸めて眠る乱太郎のとび色のぼさぼさ頭が、自分の目の前で、寝息に合わせてかすかに動いている。
 -無防備な寝顔だな。
 自分も人のことは言えないのだろうが、乱太郎の寝顔を見ていると、そう思わずにはいられない。なにかに安心しきっているようだ。だが、何に守られているというのだろう。忍になるということは、そんな根拠のない安心感に身をゆだねることを許すものではないはずだ。
 -だけど、それだけじゃない。
 今日のところは、単なる不運ではあったが、いつもの乱太郎にふりかかる不運は、ちょっと注意を払えば防ぎうるような種類のものではない、もっと本質的な脇の甘さを感じてならない。あるいは、それは底なしの善意のようなものかもしれないときり丸は考える。
 -あんまり見知らぬ他人に関わるからだ。
 そうなのだ。いつもの乱太郎の不運は、たいてい困っている(ように見える)見知らぬ他人に手を差し伸べることによってまき起こる。
 まだ一年生ではあるが、忍の学校での学習を通じて、きり丸も乱太郎も、自身を守るために何に警戒しなければならないか、おおよその感覚は身につけつつあった。は組全員に言えることだが、学習の面では惨憺たるありさまであっても、体感的な行動センスについては優れているのだ。それは不断の追試、補習や学園内外で巻き込まれるトラブルの中で培われたものだった。
 -乱太郎にだって、分かっているはずなのに。
 何が危険か、何によってトラブルに巻き込まれるかは、乱太郎にも分かっている、はずである。ただ、それよりも困っている人を見過ごすことのできない善意が、彼を危険へと近づける。
 それが使命感なのか本能なのかは、きり丸にも計りかねるところがある。
 -不運委員だからか?
 いや、それは結果に過ぎない。
 ただ、自分も、しんべヱでさえも持っているストッパーが、乱太郎にはない。だから、危険とわかっていても、無防備に駆け寄ってしまうのだ。
 考えてみれば、しんべヱの方が、よほど危機回避能力は高いように思える。鼻水たらして、口をぽかんと開けて、一見何も考えてなさそうな表情だが、その眼は実は思いがけないほど洞察力をもっている。それは、大商人の血のもつリアリズムなのだろうか。だから、どんなに運動能力が低くて鈍くさく見えても、しんべヱに乱太郎のような危うさを感じることはないのだ。
 -だから、乱太郎が心配なんだ。
 だんだん自分の懸念の正体が見えてきたような気がして、きり丸はため息をついた。
 たしかに学園の仲間たちも、先輩や教職員たちも、みな厳しいところはあっても、基本的に優しい。だが、外の世界がそうでないことを、きり丸は知っている。誰からも守られることなく、道端にうずくまる飢えた子どもに対して、情けをかける者などいない。仮に関心を払うものがいるとすれば、何も持っていない子どもから、さらに何物か巻上げるものがないかとその懐に手を伸ばす者だけである。そんな世界を知っているきり丸には、乱太郎の開けっ放しの善意は危なっかしくて仕方がない。
 乱太郎の不運の正体を探ろうとして、思考がいつの間にか自分の過去を辿り始めている。思い出したくもない、過去へ。
 -なんでそんなこと、思い出しちまうんだ?
 村を襲った戦火の中からただ一人、生き残ってしまった日から、きり丸は一人きりだった。いつの間にか、それが当然だと思うようになっていた。頼れるもの、心を預けられるものなど、求めようもなかった。忍術学園に入って、半助と乱太郎、しんべヱに会うまでは。
 -そんなことは、どーでもいい。俺は、乱太郎が心配なだけだから…。
 思えば、乱太郎の無防備そのものの優しさこそが、自分を包み込んでいることに、今さらながらきり丸は気づく。
 自分が心を預けられるのは、乱太郎だから。危なっかしいまでに善意を晒す乱太郎でなければ、裏切られ慣れた自分の心が鎧を解くことなど、ありえないから。
 ただそれだけなのに、乱太郎のことを考えれば考えるほど、乱太郎を必要とする理由を探ってしまう。そして、探れば探るほど、思考は過去を辿り、自分から全てを奪った炎の記憶に達する。
 -そんなことは、どーでもいい。どーでもいいことなのに…。
 軽く頭を振ると、きり丸は焚火に枝を数本投げ込む。そして、膝に顔を埋める。もう寝てしまおうと思った。

 


 視界が不意に赤い光に包まれ、きり丸は思わず目を覆った。遠くで叫び声が聞こえる。交錯するいくつもの足音や馬のいななき、鎧装束の金具が触れ合う音がすぐ間近に迫ってくるような気がして、思わず耳をふさいでうずくまろうとする。熱風が頬を過ぎり、とっさに腕で庇う。ばちばちと火の粉がはぜる音の中で、ぎしぎしときしむ音が聞こえる。目を開けると、目の前でひときわ高く燃え盛っていたものが、ゆっくりと崩折れてくるのが見えた。
 -ああ、家が燃えているんだ。
 ひどく冷静に、状況を把握している自分がいた。
 -どうして、逃げ出さないの?
 家の中には、まだ家族がいる。そんな気がした。なんで俺だけ、家の外にいるんだろう。俺だって、家族のみんなと一緒にいたいのに。ねぇ、父ちゃん、どうして俺は家に入れてくれないの? 母ちゃん、俺、またなにかいたずらした?
 轟然と燃え盛る音は耳を聾するほどなのに、誰かの叫び声はひどく遠くて、何を言っているのか、それが自分に向けられた声なのかも分からなかった。
 ぎぃ、ときしむ音がひときわ高くなって、炎を上げる板壁が自分に向かって倒れ掛かってきた。みるみる炎が迫ってくる。
 不思議と、何も感じなかった。ただ、静かに、今まさに自分を押し潰そうとする炎を見上げていた。のっぺりとした意識の片隅で、これでまた家族のみんながいる家の中に入れる、という考えが頭をもたげたとき、
「何をしている!」
 怒鳴り声とともに、誰かの手が腕を掴んで、荒々しくその場から引きずり出される。
 -なんで? 俺は、家に入ろうとしただけなのに…。
 説明しようとしても、声にならない。口をぱくぱくさせながら、腕を掴んでいる手の主を見上げようとしたとき、轟然と地響きをたてて、自分のいたところに燃え盛る家が崩れ落ちてきた。火の粉を巻上げた熱風が押し寄せ、ごおぉっと炎が渦を巻いてひときわ高く燃え上がる。
「!」
 急に、恐怖が、きり丸の中を駆け巡る。
 -待って! 父ちゃんも、母ちゃんも、家族みんなも、まだ家の中にいるんだ! 俺が助けないと…!
 だが、きり丸の意思に反して、腕を掴んだ手に、家から引き離される。
 -はなせ! 
 必死に暴れて、腕を掴む手を払おうとしたが、その手は枷のようにきり丸の腕に深く食い込んで離れない。
 家から引き離されるにつれ、村中が炎に包まれていることに、ようやく気付く。走り回る人影は、逃げ惑う村人か、敵を探索する兵たちか。
 -いやだ! はなせ! 父ちゃんと母ちゃんのところに戻せ!
「いやだ! はなせ! とう…!」
 不意に、声が出せるようになった。同時に、腕の枷の感覚が消えていることに気付く。
「きり丸…ねえ、きり丸、どうしたの?」
 気がつくと、頭を抱えてうずくまっていた。全身の震えが止まらない。動揺した乱太郎の声が、すぐ近くに聞こえる。必死に背中や肩をさすっているのは、乱太郎の手だろうか。
 ゆるゆると顔を上げて、声のほうを向く。弱まった焚火に照らされた乱太郎の顔に、徐々に焦点が合ってくる。
「…らんたろ…俺」
 かすれ声で、ようやく絞り出せたひとことだった。
「こわいこと、思い出しちゃったんだね…もうだいじょうぶ、だいじょうぶだから…」
 背中や腕をさする乱太郎の手に、力がこもった。
「きり丸、なんどもなんども火事だ、火事だって言ってたよ。昼間の山火事で、いやなこと思い出しちゃったんだね?」
 そうだ。そういえば、あの森の向こうで立ち上る炎は、村を焼いた火事と同じように、妙に赤く明るく輝いていた。だが。
「ちげーよ」
 低く、きり丸はつぶやく。乱太郎が首を軽く傾げた。
 -あの山火事を見たから思い出したんじゃない。乱太郎のことを考えているうちに、思い出しちゃったんだ…。
 でも、それは乱太郎のせいではない、ときり丸は考える。だから、気にすんなよな、と。

 


「ねえ、きり丸。頼みがあるんだけど」
 手を動かし続けながら、乱太郎が声をかける。
「こんど、きり丸の父ちゃんと母ちゃんがどんな人なのか、私にも教えてよ」
 まるで、生きている人物の話をしているように、乱太郎は続ける。
「きり丸の父ちゃんが、どんな仕事をしていて、どんな遊びを教えてくれて…きり丸の母ちゃんが、どんな話をしてくれて、どんな料理が得意で…」
「…」
 膝を抱え込んだまま、きり丸は黙って焚火を見つめている。
「そうだ、きり丸の兄弟のことも。私は一人っ子だから、兄弟がいるってどんな感じなのか、よくわからないし…」
「…」
「ほら、きりちゃん。制服も乾いたようだし」
 制服を持ってきた乱太郎が、肩に着せ掛ける。その手の感覚に、どこか深いところに沈殿していた記憶を抉り出された気がして、きり丸ははっと顔を上げる。気がつくと、乱太郎の身体に顔を埋めていた。
「え…きり丸…?」
 戸惑ったような声を上げる乱太郎に、なにか答えなければと思った。だが、口から漏れるのは嗚咽だけだった。
 抉り出された記憶は、なぜかとても温かく柔らかい感覚を伴っていた。ああ、母ちゃんの手だ、ときり丸は思った。繕い終えたばかりの着物を自分に着せ掛けてくれる、あの母の手の記憶だった。
 不意に、涙がこみ上げてきて、乱太郎にしがみつく腕に力が入る。黒い襦袢越しに、乱太郎の体温が頬を伝う。
 -きり丸…。
 突然、自分にしがみついてきたきり丸に、一瞬驚いた乱太郎だったが、すぐになだめるように頭を撫でる。そうすることが必要だと思った。
「それからさ…きり丸が、どんな友達と遊んだのかも教えて欲しいな。私やしんべヱみたいな友達も、いたのかな…不運だったり、ドジだったり」
 空いた方の手できり丸の肩をそっと抱き寄せながら、乱太郎は静かに言う。身体の中からじわじわと温かいものがこみ上げてくるようで、きり丸はものも言えず、ただ無心に目の前の暖かい身体にしがみつく。乱太郎には、何も説明する必要がない、説明しなくても、必要なものを与えてくれるときり丸は確信する。
 乱太郎の声が、傷口にやさしく手当てを施す手のように、安心感を与えてくれる。こうやって、乱太郎の善意に包まれている間だけ、自分は赤子のように安心できる。乱太郎がおそらく無意識のうちに語る言葉だけが、自分を本当に慰めてくれる。そんな乱太郎の優しさにどう答えればいいかもわからなくて、ただ涙だけが止まらないのだ。
「明日になったら、学園に戻る道を探さないとね」
 自分も制服を羽織りながら、乱太郎は言う。
「だから、もう少ししたら、寝よ」
 -もう少し、このままでいてあげるから。
 いつも強気で、自分をリードしたり振り回したりするきり丸が、素直にこくりと頷いた。
「そうだ。このあいだ、きり丸がバイトに行っているときにしんべヱがさ…」
 きり丸の頭をなでながら、乱太郎は静かに語り始める。とりあえず、いま自分ができることはこんなことしかなくて、でもそれが確かにきり丸に必要なものだと確信しながら。


 <FIN>

 

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