高野山へ行ったの段

何かに発心したわけではないけど、高野山に行ってみた。折りしもすっごい雪で、金剛峰寺も写真の通りの有様だったが、寒いぶんだけ心がしゃんとなるような、そんな気がした。

山上では、初めて宿坊というものに泊まった。とはいっても、私の泊まった宿坊はカギ付きの個室で暖房も効いているし、食事も豪勢なものである。しかも精進料理ということできわめてヘルシーなのである。中央の膳の右上の胡麻豆腐がうまかった。兵助が食べたらどんな感想を述べるだろう。

ちなみに朝のおつとめにも出てみた。坊さんの声明(しょうみょう)が実に音楽的で、清少納言が坊さんは声がよくないと…と書いたのは、当時の女房たちもこういう声に聞きほれていたからなのかと思った。

奥の院への参道にあった法然上人の墓所。忍たまにハマって、土井先生のつどい設定を知らなかったら、関心を抱いていたかきわめて疑わしい。(←不信人者め)

高野山を開いた空海が日本仏教史の嚆矢なら、法然たち12~13世紀の仏教改革者が輩出した時代は、第二の仏教興隆期といえるだろう。その後、現在に至るまで、仏教はどのくらい進歩したのだろうか。

翌日は、南海の特急で下界に戻り、東京に帰る。すっかり雪の消えた風景を新幹線から眺めながら、精進落としになに書こうとか考えていた。