閑吟集狂想~降れ降れ雪よ

249. 降れ降れ雪よ 宵に通ひし道の見ゆるに

 

折りしも、東京にも雪が降っている。家々の屋根にもうっすらと雪が積もり始めている。もっとも、私の住む都内は積もってもせいぜい数センチと言ったところだろう。

 

我が家の周辺のようにちょっとばかり降る程度の小雪は風流だが、大雪は災害である。だから、降れ降れ雪よ、などと歌うのは、基本的に暖地の人間である。

だが、暖地の人間は、雪が降ると妙にときめく。子供はこらえきれずに外に飛び出すし、大人も、電車は大丈夫かとか滑って怪我しないかとかぶつくさ言いながらも、振り積む雪に見とれ、雪見酒などとうそぶいてはアルコールの摂取にいそしむ。

自分が子供の頃を考えても、暖地の子供にとって、雪は神秘的であり、ついつい「もっと降れ」と思ってしまうものである。そういえば徒然草第181段に「降れ降れ粉雪、たんばの粉雪」という童歌を幼かった頃の鳥羽天皇が歌っていたと讃岐典侍が日記に記したという記述がある。

さて、この歌は、女の歌である。宵に通ってきたあの人の足跡も消すほどに降り積もれ、という。室町の男も「こんなに雪が降っているんだから、少しゆっくりしていきなさいよ」と女に言われて、「雪だからしょうがないか」と自分に言い訳しつつ、しばし女のもとでしっぽりしていったのかも知れない。

女が歌う逢瀬も、いつまでも続くわけではない。翌朝には、帰っていく男の足跡が、雪の上にはっきりと残ってしまうことを分かっていながら歌っているのだろう。それでも、少しでも思い人と過ごす時間を延ばしたい女の切なる思いが、降れ降れ雪よと歌わしめているのかもしれない。