金吾のこと

春日ゆい様のブログに登場する金吾のイラストにインスパイアされて、金吾のことをいろいろと考えてしまう。(勝手にお名前からリンクを張ってしまいました。申し訳ないです)

 

wikipediaにあるところの、落乱の登場人物の解説によれば、金吾のモデルは源頼家とのことである。ところで、源頼家って、どんな人物だったっけ…?

 

で、いろいろググってみたところ、源頼家とは、源頼朝の息子で、鎌倉二代将軍だったが、のちに遠ざけられ、修禅寺(修善寺)で北条方に暗殺された人物ということが判明。そういわれれば、歴史の授業で習ったような気もする。岡本綺堂の「修禅寺物語」にも登場したりする。ちなみに享年21歳。(満年齢なので、実年齢では22~23歳か?)

 

さて、源頼家がなぜ金吾なのかというと、その官職に起因している。朝廷から与えられる官職には、中国の同等の官職名を雅称とする唐名が付随していることが多く(中国文明への憧憬のなせる業なのだろう)、プライベートには唐名で名乗ることも多かったようである。

将軍家を継ぐ身分の頼家は、左衛門督(左衛門府の長官=正五位上、五位以上が殿上人。企業でいえばボード入りみたいなもの?)の官職を与えられる。これを唐名でいえば左金吾となる。そういえば「修禅寺物語」でも、頼家は自ら左金吾頼家と名乗っている。


ちなみに金吾の父親の武衛も、頼家の父親、すなわち源頼朝の官職の唐名と合致する。頼朝は長らく右兵衛権佐(右兵衛府の次官)の官職にあったが、兵衛府の唐名が武衛であり、右兵衛権佐の地位にあった頼朝は、右兵衛(うひょうえ)又は佐殿(すけどの)と呼ばれることが多かったようである。 整理すると、次のとおり。

 

 衛門府=金吾 左衛門督(さえもんのかみ)=左金吾=源頼家=子
 兵衛府=武衛 右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)=右兵衛=源頼朝=父

 

つまり、モデルとなった頼家をトレースすれば、金吾の生涯はこうなる。
・生まれは武家の名門
・長じて、武芸に達したものすごくいい男になる(←ここ大事!)
・若くして、非業の最期を迎える

 

…切ない! 切なすぎる!
あの健気で可愛い金吾が、こんな運命の影を背負ってていいのか! でもそれがいい!(どっちなんだ)

アニメではひたすら剣に打ち込む元気のいい男の子だけど、背負った運命の重いこと…! このような人物設定を考案された尼子先生には、敬服の念を抱くの外ない。
当座の解決策として、激しく萌えるほか見出せない私に、なんらかの救済が与えられんことを(手の施しようがない?)