忍たま的聖地巡礼は記号論的

 忍たま聖地巡礼は、すごいことになっているらしい。

 ブームを受けて、七松八幡神社では、小平太が描かれた絵馬が発売されているらしい。

 

 

 それにしても最近、アニメに登場する土地の聖地巡礼が脚光を浴びている。


 たとえば埼玉県鷲宮町のケースでは、北海道大学の研究チームが検証を行っているが(http://www.cats.hokudai.ac.jp/~deko/washipedia.html
(パッと見、分かりにくいという向きには、プレゼンテーション資料の方をお勧め))、ここで明らかなのは、鷲宮における聖地巡礼とは、アニメに実際に登場した場面の巡礼(実際に登場する神社等を訪問、アニメと同じアングルでの撮影など)であり、アニメの世界を現実に追体験することが可能なものである。
 同じことは宗教上の聖地巡礼も同じことで、神話や経典に奇跡なり事件が発生した場所として明記された場所を、後世の人物も追体験するためにその地を訪れるということをもって、聖地巡礼としている。ここまでグダグダ書いたことは、要は聖地巡礼とは、原典に明示された土地への訪問(および追体験)を意味するということである。

 

 

 ところで忍たま的聖地巡礼は、それとは趣を異にする。そもそも忍たまに登場する忍術学園の場所は、作品中に明示されない(近畿地方のどこか、という設定らしい)。巡礼の対象となるのは、登場人物の名前として登場する尼崎市内の地名である。現地を訪れても、登場人物との接点が期待できないばかりか、アニメと同じ風景が展開していることを期待できない。もちろん、金楽寺や園田など、アニメに実際に登場する地名も尼崎市内には存在するが、圧倒的多数の忍たま聖地巡礼者のブログを拝見する限り、訪問先は登場人物の名前となっている地名、すなわち潮江とか、善法寺とか、立花である。つまり忍たま的聖地巡礼では、もはや地名は、登場人物のキャラに仮託化された記号でしかない。

 

 

 そもそも地名とは、そのものがきわめて記号的である。地名とは、その土地の特徴や由来がこめられたタイムカプセルのようなものであるといってもいい(ニノ坪=条里制に由来、久々知=古代豪族の本拠地など)。忍たま的聖地巡礼とは、地名の本来持つ記号的な意味を忍たま的に変換して(そのキャラを想起して)楽しむものなのだろう。

 

 

 そんなこんなでうじゃうじゃ書いたが、言いたいことは、来週は大阪出張だぁぁ!

 

 うおっしゃぁぁ!! 

 

 尼崎行くどぉぉ!!!