伊賀と甲賀

伊賀忍者屋敷
伊賀忍者屋敷
私の世代は、子供の頃、「忍者ハットリくん」で忍者というものの存在を知った。ハットリくんが伊賀忍者で、敵対する忍者が甲賀忍者で、ストーリーはあらかた忘れてしまったが、使う忍法も違っていたような気がする。

上野の市街地に入る。かつてお城があった場所は、いまは公園となっていて、復元された天守閣、当地出身の松尾芭蕉の資料館、忍者屋敷などがある。ちなみにいずれも入館料がかかり、3館共通の入場券もあるのだが、時間がないので忍者屋敷に行ってみる。

もとは別の場所にあったものを移築したのだそうだが、隠し扉やら隠し通路やら、さながらからくり屋敷といった風情である。客は10人ちょっとのグループに分けられ、若いスタッフが実演交じりで説明する。外国人の観光客も多い、というか、私のいたグループは、日本人より外国人のほうが多かった。資料館の展示も充実していて見ごたえがある。だが、忍者がなにを使っていたかは分かっても、要は忍者とは何をする人だったのかというのは、よく分からないのであった。よく分かってはいけない存在だったんだろうから仕方がないのだが。とりあえずは偵察、破壊工作、暗殺、火器の開発など、いろいろなことをやったらしい。

伊賀と甲賀は近い。車で30分も走れば県境を越えて滋賀県、かつての甲賀の地である。伊賀と甲賀は敵対しているというイメージがあるのだが、実際はそのような事実はなかった(というか、もとは一つの流派だった)と、甲賀忍術屋敷の主人が語っていた。

甲賀忍術屋敷は、田園地帯に佇む集落の中の、細い路地を抜けたところにある。かつて忍者の頭領だった望月出雲守なる人の屋敷がそのまま資料館になっている。こちらは集落に隠れるような佇まいといい、いかにも忍びの雰囲気がある。

こちらにも、隠し扉やら何やらのからくり屋敷であることには変わりがないが、主人の説明によれば、忍者とはずばり、当時の先端技術者だったということである。屋敷の中には、伊賀の忍者屋敷と同様に、忍者が使ったという手裏剣やら刀やら火縄銃などが展示されているが、火薬の扱いに詳しかったことが、戦国時代に忍者が重用された最大の理由なのだそうである。忍者が活躍するアクションめいたことはほぼ創作であると、主人は断言した。山田風太郎や、司馬遼太郎が描くところの忍者の世界とは、だいぶ異なるということなのだろう。

江戸時代になって忍者が用済みになると、忍者は火薬作りの腕を生かして製薬業に従事したので、いまでも甲賀には製薬会社が多いのだそうだ。ちなみに、主人に伊賀と甲賀の違いを訊いたところ、組織論の違いとの答えが返ってきた。「人の伊賀と組織の甲賀みたいなもんですか」と訊くと、苦笑していた。たぶん違うのだろう。

奥の展示室の一角には、そこだけ場違いにアニメのセル画や作者のサイン色紙が展示されている。現在放送中の「忍たま乱太郎」の作者が訪れたことがあるらしい。今の子供たちにとっての「忍者ハットリくん」のようなもので、忍者の存在を知るゲートウェイとしてのアニメは健在なのだろう。ご同慶の至りである。
甲賀流忍術屋敷
甲賀流忍術屋敷
忍たまキャラ大集合
忍たまキャラ大集合
尼子先生&大木先生色紙
尼子先生&大木先生色紙